出来る限りの速さでエポナにゲルド砂漠まで駆けてもらい、ゲルド砂漠入り口の馬宿に着いた後は当初の予定通り砂漠で野生のスナザラシを捕まえて、かつて雷鳴の兜を取り返すために訪れたイーガ団のアジトへとやって来た。一度は無人になったはずのアジトには幾つもの気配が潜んでいるのを肌で感じられて、中へ入ればあの特徴的な赤スーツを着た構成員たちに四方八方から襲われた。絵にかいたような予想通りの展開に、口角が上がる。楽しい、という意味ではなくて、今度こそ徹底的に潰してやるという意味で。
……とは言え、命を奪いたいわけじゃない。それは俺が望むところじゃない。戦意を喪失してくれさえいればそれでいい。それに、イーガ団の方も俺の命を狙うと言いながらどこまで本気なのかいまいちわからないところがある。悪意の質なら兵士時代の頃の方が余程酷かった。イーガ団は何か違う。……ような気がする。
アジトの奥へと続く通路や広間、一度通ったことのある場所を、襲い掛かってくるイーガ団を撃退しながらアジトの最奥部まで進めば、かつてイーガ団総長のコーガと戦った大穴のある場所に辿り着いた。その大穴の脇に巨大な鉄格子の檻が置かれており、その中に地面に視線を落として俯いているナマエさんがいるのが確認できた。
「ナマエさん!」
呼びかける俺の声にナマエさんがゆっくりと顔を上げて俺の方を向く。その顔に何の感情も浮かんでいないことに心がざわつく。まるで、ナマエさんが元の世界で仕事に忙殺されて『死んだ魚の目』になっていた時のようだ。周囲にイーガ団の影は無いけれど、万が一があってはナマエさんの身が危ないから周囲を警戒しながら慎重に、だけど素早く檻に近づきナマエさんの状態を確認する。怪我無し。衣服の乱れ無し。疲れた顔をしているけれど、目に見えてわかるような酷い状態ではない、……と思う。
ナマエさんが無表情なことは気になるけれど、一か月ぶりのナマエさんの姿に、無事で良かったと安堵しながらこみ上げてくるものがあって目頭が熱くなった。今すぐ抱きしめたい。
「……久しぶりだね、リンクくん」
「ナマエさん!無事だった?」
「うん。私は大丈夫。それよりリンクくん」
「何?」
「……淑女の服じゃないんだね」
「こんな状況で残念そうに言わないでくれるかな!」
「泣きながら怒るなんて器用だね、リンクくん」
「ナマエさんは何でそんなに冷静なの!」
「ん。……意外と拉致監禁生活も悪くないなって」
「何もされてないよね?」
「……されてないよ。酷いことは、何も」
そう答えたナマエさんは嘘を言っているようには見えなかったけれど、とても静かな目をしていた。とても、とても。不自然なぐらいに。だけどこの時の俺はナマエさんのその不自然なまでの落ち着きに違和感を感じつつも、とにかくナマエさんを連れて安全な場所に行きたいという一心で、その違和感についてそこまで深く考えていなかった。
「とにかく、ここを出よう。シーカーストーンのワープ機能は使えないから、野生のスナザラシをつかまえて盾サーフィンでカラカラバザールを目指す。そこでゆっくり休もう。ナマエさん、歩ける?」
「うん。大丈夫」
鉄格子の鍵を壊し、檻から出たナマエさんの手を引く。
久しぶりに触れたナマエさんの手、触れただけでドキドキする。
こんなにも愛しいと思うのに、どうして俺はナマエさんを独りにしてしまったんだ。俺のバカ!コログたちが言っていたことが本当なら、俺の甘えでナマエさんを泣かせていた。俺の方から手放せないって言ったのに。
「……ごめん。俺、ナマエさんを独りにしてしまって」
「いいの。リンクくんは『ハイラルの勇者』でゼルダ姫の騎士だもの。私よりもハイラルやゼルダ姫を優先するのは当然だってわかってるから気にしないで」
「ッ……ごめん」
「謝らなくていいんだよ。私は大丈夫だから。……最初からわかっていたことだから」
「ナマエさん……?」
平坦すぎる温度感の無いナマエさんからの声に、違和感と不安が水に落とした黒いインクのように胸の内に広がっていく。思わず足を止めて振り返った俺の目に映ったのは、手元に持った小刀を真っ直ぐ俺の方に向けて突きだそうとしているナマエさんの姿だった。
「ナマエさんッ!」
「……」
咄嗟に繋いでいた手を引いてナマエさんの体勢を崩し、手刀で手首を打てばあっさりとナマエさんの手から小刀が落ちて砂に真っ直ぐ刺さる。俺が護身用にと渡していた見覚えのある小刀。「人にも動物にも向ける勇気は無い」と、そう言っていたナマエさんにそれを向けられたことに少なからず動揺したけど、耳に聞えた風切り音に反射的にナマエさんの身体を抱きしめてその場から大きく跳躍した。その直後、砂地にトス、トスっと続けざまに二本の矢が刺さる。このタイミング、二連弓から放たれた矢で間違いない。
矢じりの方向から矢が放たれたであろう方向に目を向ければ、思った通りそこにはイーガ団の構成員の姿が。一、二、三……全部で七人。構成員だけで七人なら、特に問題なくこの場を切り抜けられる。だけど今は、ナマエさんがいる。ナマエさんを守りながら七人を相手にするのは、俺じゃなくてナマエさんの身が危ない。おまけに、先ほどからナマエさんがぴくりとも動かない。抱き寄せた俺の腕の中で完全に脱力した状態で、声をかけても反応が無い。
……クソッ、やっぱりイーガ団のやつらに何かされていたのか。ナマエさんが俺に自分の意思で刃を向けることなんてあるはずがない。………ない、よね?
元の世界で仕事の疲れが限界突破して荒ぶっていた時のナマエさんの様子を思い出して冷や汗。あの時のナマエさんの据わった目は人を射殺しそうな目をしていた。
……まぁ、そういうところも含めて好きなんだけど。
「おうおう、リンク。恋人に殺されそうになるってーのは、どんな気分だぁ?」
「気分なら最悪だよ。ナマエさんに一体何をした!」
「何をしたって?教えてほしい?教えてほしーいか?だったら額を地面につけて懇願してみろ!『お願いです、教えてください』ってな!」
「……素直に話さないなら、話したくなるようにするまで」
「おぉ!怖っ!よしお前ら、今日はここまでだ。撤退。てーったいー!」
「は?な、待て!」
ぼんぼんっと最早見慣れてしまったが煙に巻かれて姿を消すイーガ団の赤に唖然としてしまう。相変わらず腕の中のナマエさんはぐったりとしたまま。たった二人その場にぽつんと取り残されても……全く意味がわからない。何がしたかったんだあいつらは。しばらくそのまま周囲を警戒していたけれど、イーガ団が再び現れる様子は無く、ナマエさんが目を覚ますこともなかった。
……そう、ナマエさんはこの時からずっと目を覚ましていない。意識のないナマエさんを抱えて俺がスナザラシで盾サーフィンして移動している間も、カラカラバザールに到着した後も。
呼吸も脈も正常なのに、呼びかけても肩を叩いても一切の反応が無い。このまま目を覚まさなかったら?嫌だ、嫌だ、嫌だ!ナマエさんを失いたくないッ!焦燥感で真っ青になった俺を見兼ねたゲルド族の人が声をかけてくるまで、俺は宿屋のベッドに横たわったままただただ目を覚まさないナマエさんの手を握ることしかできなかった。
「ナマエさん、ハテノ村に帰ろう。エポナに馬車を引いてもらうんだ。ナマエさんはまだエポナに会ったことがなかったよね。ゲームの中と同じ栗毛の綺麗な馬なんだ。ナマエさんにもエポナにリンゴを食べさせてもらいたいな」
俺に声をかけてくれたゲルド族の人がカカリコ村のインパに向けて鷹を放ってくれてから数日後、俺はカラカラバザールからナマエさんを背負ってゲルド砂漠入り口の馬宿まで移動し、そこからエポナに馬車を引っ張ってもらってナマエさんと共にハテノ村に戻ることにした。
ハテノ村に戻ってゆっくり休めば、ナマエさんも目を覚ましてくれるかもしれない。それに、ハテノ村に戻ればプルアがいるはず。もしかしたらカカリコ村にいるゼルダ様のところにいるかもしれないけど、アンチエイジングなんてとんでもないものを造れるプルアなら、ナマエさんの状態を診てもらうことで、ナマエさんに何が起こっているのかを解明してくれるかもしれない。
「厄災ガノンを封印できたから、以前にくらべて魔物たちもぐっと大人しくなった。ナマエさんはゲームの中でハイラル各地を旅していたと思うけど、実際に見るハイラルはもっと綺麗だから、ナマエさんにも見てもらいたい。目が覚めたら俺と一緒に旅をしよう」
声を掛けてもナマエさんからの返事はない。
ただ、安らかな呼吸を続けながら目を閉じ続けているだけ。
でも、諦めない。
俺は絶対にナマエさんを諦めない。
「リンク、貴方……まったく眠っていませんね」
「うっ……」
ハテノ村への帰路の途中、双子馬宿でインパを伴ったゼルダ様と再会することになった。鷹が運んでくれた書状の内容を見て、ただ事ではないと俺と合流することにしてくれたのだと言う。俺と顔を合わせるや否や、ゼルダ様の目が据わった。そして疑問系ではなく断定した口調で眠っていないことをゼルダ様に指摘された時、そういえば大厄災の前にも同じようにゼルダ様に怒られたことがあったなということを不意に思い出してバツが悪くなった。
常人に比べて何日も眠っていなくとも短時間の仮眠と料理さえ食べれば何とかなる身体だから、多少無理していたとしても全く問題ない。ナマエさんのことを誰かに任せるのも嫌だったから、当たり前のようにずっと眠っていなかった。俺は大丈夫。問題ない。ゼルダ様とインパ、それに何人かのカカリコ村からの戦士たちがハテノ村までの道のりに同行すると申し出てくれた後も、ずっとナマエさんのことが気になってしまって眠れなかった。
双子馬宿を出発し、クロチェリー平原からハテノ砦跡を抜けて街道沿いに東へ東へ。ハテノ村にようやく到着した時には双子馬宿を出発してから三日が経っていた。その間、一睡もしていない。
ナマエさんを横抱きにしたまま片手で玄関扉の鍵をあける。家の中に入るとふわりと香る花の優しい匂いに包まれた。コログたちが教えてくれたように、家中に様々な花のリースやドライフラワーが飾られているのが目に入って、ナマエさんを抱く腕に力が入った。こんなにもたくさんのリースやドライフラワーの花束を作れるぐらい、俺はナマエさんを独りにしてしまっていたんだ。
「まあ、これは……素晴らしいですね」
「このように多種多様な花飾りはなかなか見ごたえがありますな」
俺に続いて家の中に入ってこられたゼルダ様とインパも家中に飾られた花飾りに感嘆しているようだった。その声を背に、二階にあるベッドにナマエさんを寝かせるためにナマエさんの身体を抱き上げたまま二階へと足を進める。ナマエさんがハイラルに来てから毎日共に眠りについたベッド。そこに出来るだけ優しくナマエさんの身体を横たえる。さらりとシーツの上に広がる艶のある黒髪。ナマエさんは手入れが大変だし枝毛が増えたからばっさり切りたいなんて言っていたけれど、なんだかんだ俺がごねてのばしたままにしてもらっていた長い黒髪。ナマエさんの世界では当たり前だったこの艶のある黒髪も、ハイラルでは珍しい。その一房を手に取って口付ける。
そのまま目を離せなくてベッドに座ったままナマエさんの傍にいたら、二階に上がってくる足音が聞こえてきた。
「リンク、どうか少しだけでも休んでください。ナマエのことは私たちが見守っていますから」
「……ありがとうございます、ゼルダ様。お心遣いはありがたいのですが、俺はここにいます。……此処にいたいんです」
「駄目です。貴方には今休息が必要なんです。どうしてもと言うのなら、ナマエと一緒のベッドで一緒に休みなさい!それなら良いでしょう?」
「え、あ……はい」
「私はこれからプルアのところに行って、ナマエの状態を診てもらうようお願いしてきます。シーカー族きっての切れ者であるプルアであれば、ナマエがどうして目覚めないのか、ナマエの状態から推測してくれるかもしれません。プルアを連れてくるまでは起きていても構いませんが、ナマエを診てもらった後はしっかり眠るのですよ!わかりましたか?言うことを聞けないのであれば、金輪際あなたが私の護衛につくことを認めません!良いですね!?」
「……はい」
情けない。主君からお叱りを受けてしまった。
百年前にも魔物の群れに突っ込んだ時にも危うい戦いをしないようにと苦言を呈されたことはあったけれど、こんなにも強く叱られただろうか。百年という歳月を経て、ゼルダ姫は色んな意味で強くなられたのかもしれない。思い出せている限りの記憶でわかる範囲でしかないけれど、もしかすると、あの日のまま時が止まってしまっているのは俺だけなのかもしれない。
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2024.11.13 先行公開