イーガ団にナマエさんが拉致された。
それを知ることができたのは、俺がハテノ村を不在にしている間、ナマエさんの様子を見ていてほしいと頼んでいたコログたちが慌てた様子でカカリコ村に現れたからだった。しゃがみこんで目線を合わせる俺に身振り手振りを必死に交えてその時の状況を一生懸命話してくれるコログたちの話を聞いているうちに、無意識に固く手を握りしめていたらしい。そっとその手に温もりが触れて、はっとした。
気が付けばすぐ隣にゼルダ様が俺と同じようにしゃがんでいて、俺の方を心配そうな顔で見ていた。
「ゼルダ様……」
「落ち着いてください、リンク。まずはナマエが連れ去られた場所を特定しなければ。助けられるものも助けることが出来ませんよ」
「……はい」
「イーガ団は、百年前と変わらずゲルド砂漠を拠点に活動しているのでしょうか。私にはコログたちの姿を見ることも声を聞くことも出来ません。彼らは何と?」
「ゲルド地方にいる仲間からそれらしき馬車を見たと話があったそうです。どのような形で連絡を取り合っているのかはわかりませんが、彼らはハイラル各地にいる仲間たちと情報を共有できるようなので。……おそらく、ゲルド砂漠にいるのではないかと」
「おそらくというのは?」
「……ゲルド砂漠の北にアジトがあり、イーガ団はそこを拠点に活動していました。ゲルドの族長ルージュの頼みでイーガ団に盗まれた雷鳴の兜を取り戻しに行った際に壊滅状態にしたので、アジトにはイーガ団の影は見当たらなくなっていたんです」
「そうでしたか……。厄災ガノンの封印をきっかけに時勢が動きました。もしかすると再び戻っているのかもしれませんね。私たちが厄災ガノンの封印に成功したことは、彼らも知るところでしょうから」
ゼルダ姫の言葉に、ぎゅっと奥歯を強く噛む。
奴らは、イーガ団は、厄災ガノンがゼルダ様の手によって封印されてもなお諦めないのか。
胸の内にこみ上げるこの気持ちを何と形容すれば良いだろう。知らず、目つきが鋭くなっていたらしい。俺の目の前でコログたちがあわあわし始めたのが見えて、冷静になれ、と自分に言い聞かせ、出来る限りの笑顔でコログたちと再び視線を合わせる。
「怖がらせてしまってごめん。ナマエさんのことを教えてくれてありがとう」
『勇者サマ、アノヒト、泣イテタ』
「……」
『勇者サマヲマッテイルアイダ、時々ダケド』
『サビシソウダッタ。デモ……』
「……でも?」
『オハナ、タクサンカザッテタヨ。勇者サマがモドッテキタトキ、ミセテアゲルンダッテイッテタノ』
『ソウソウ。勇者サマカラタクサンオ花モラッタカラ、オカエシスルンダッテイッテタヨ』
「っ……そっか」
コログたちの言葉に、ナマエさんの元の世界で過ごしていた時、俺がナマエさんに渡していた花束をドライフラワーや花飾り、砂糖漬けにしたりハーブティーにするために色々と加工していたことを思い出す。『これならハイラルに行っても生計を立てられるかな?そうしたらリンクくんの旅の役にも立てるかな』なんてはにかみながら笑顔で言ってくれていたナマエさん。俺に感謝しているとも言ってくれた。俺がナマエさんのために花を選んでいる姿が好きだと言ってくれた。そうしていると、ただの普通の男の子のようだと。
ああ、会いたい。今すぐに会いたい。ナマエさんに会って、今すぐ抱きしめたい。そして独りにしてしまったことを謝りたい。謝って、ナマエさんの不安を溶かしてあげたい。
そのためにも一刻も早くナマエさんをイーガ団の手から取り戻さなければ。
「ゼルダ様、私は……」
「ええ。わかっています。リンク、貴方はゲルド砂漠に向かってください。せっかくようやくハテノ村に戻ってナマエに会えるところだったというのに……ごめんなさい。私がカカリコ村に着くなり倒れてしまったせいで貴方をカカリコ村に足止めすることになってしまった結果、こんなことになってしまって」
「いいえ。ゼルダ様のせいではありません」
倒れたゼルダ様の護衛を別の者に頼むことはできた。だけどそうしなかったのは俺だ。ナマエさんなら、きっとわかってくれるだろうってナマエさんの優しさに甘えていた。
ナマエさんは俺よりも大人の女性で、弱いところも見せてくれるようにはなっていたけれど、物事を合理的に見れる人だから、どうして俺がハテノ村になかなか戻らないのか、その理由を推測して理解してくれるだろうからって。ハイラルに来てまだひと月も経っていなかったのに、早々に生活に慣れたから大丈夫だと、そう言ってぎゅっと俺を抱きしめてくれたナマエさんは厄災討伐に向かう俺の背中を押してくれたのに。そうやって励ましてくれる人に甘えていた。ナマエさんが実はそんなに強い人じゃないって知っていたはずなのに。
「エポナ、ゲルド砂漠の入り口まで頼む。出来る限りで良いから、急ぎたいんだ」
『ブルル!』
「ありがとう。助かるよ」
カカリコ村からゲルドまではかなりの距離がある。
シーカーストーンの機能が使えた頃なら一瞬で移動出来ていた距離も、カカリコ村から馬で移動するならどんなに急いでも五日はかかる。ゲルド砂漠入口の馬宿にエポナを預けたら、そこからは野生のスナザラシを捕まえて移動するのが一番早い。やることは決まった。ならばあとは行動するだけだ。
「リンク、どうか気を付けて」
「はい。ありがとうございます、ゼルダ様。申し訳ありません。護衛を外れることになってしまって」
カカリコ村を出る俺を見送りに来てくださったゼルダ様とインパに頭を下げ、エポナに騎乗する。回生の祠から目覚めてからの旅の途中で出会ったエポナは、今や俺の大事な相棒だ。本当はもう一人の相棒にも手を貸してもらいたいところだったけれど、厄災ガノンの討伐に成功してから、あの額に独特な文様のある相棒が姿を見せてくれることはなかった。本当は、俺が厄災討伐で不在になる間、コログたちと一緒にナマエさんのことを見守っていてほしいとお願いしたかった。『勇者の先輩』がナマエさんの護衛を引き受けてくれるのなら、きっと今回のようなことにもならなかったんじゃないかって。……いや、そうじゃないよな。俺が、今の状況を招いてしまったんだ。
「貴方はもう私の騎士ではないのですから、想う方のために動くのは当然のことです。どうか、貴方の大切な人が無事でありますように。ここから貴方がたの無事を祈らせてください」
「ありがとうございます」
「リンク、姫様のことは我々がお護りする故、心配するな」
「うん。ありがとう。よろしく頼むよ」
二人の言葉を背中に受け、エポナの手綱を握る。騎乗している俺の意を汲んでくれているかのように力強く駆け出したエポナを頼もしいと思った。ナマエさん……どうか無事でいて!
***
カカリコ村の衣装を着て現れた男はイーガ団でした。物語の流れには主人公がピンチに陥るような出来事があると物語が盛り上がるわけだから起承転結の流れが好まれるわけだけれど、リアルで生きている人生の中に劇的なイベントと遭遇することがあまり多いと、人間はキャパオーバーでパニックを起こすと思うんだよね。普通はきっと。多分。
「……お前、全然騒がないな」
「騒いでも仕方ないので」
「勇者を誘き出して殺すための人質なんだぞ」
「そうみたいですね」
「まるで他人事だな」
「……そうかもしれませんね」
ふっと小さく息を吐いて苦笑したら、目の前に立つ全身赤スーツの仮面を被った男が小さく息を飲むのがわかった。仮面越しでも何となく伝わってくるものなんだね。そういうのって。
「だって貴方が言ったんじゃないですか。勇者と姫がお似合いだって。リンクくんがゼルダ姫と一緒に暮らしているんだって。もうハテノ村に戻らないんだって。つまりそれって、私は捨てられたってことですよね。そんな、捨てた女を人質にしたところで貴方たちイーガ団の利になることはないと思うんですけど……」
「いや、まぁ確かにそう言ったけどよ……」
「だから役に立たない人質が、いくら地下牢の中に入れられているとは言え、こんな人質らしくない状態でおもてなしされている状態で良いのかなって思ってます」
「……美味いか?」
「はい。ツルギバナナでこんなに多種多様な料理が作れるとは思っていなかったので。レシピを頂いても?」
「ああ、構わんぞ。何なら俺たちイーガ団のために料理してくれるってんならこの地下牢からも出してやるが」
「私が料理に毒を入れたらどうするんですか」
「お前にそんな度胸があるとは思えんが。やるのか?」
「いえ、入れませんよ。毒なんて持ってませんし、持っていたとしても入れません」
「だよな。じゃあお前。調理場で料理担当から料理を習え。俺様はお前が気に入った。だからリンクじゃなくて俺様の嫁になれ。青臭いガキよりも、俺様と大人の付き合いをしようじゃねーか」
「……予想外のところから爆弾落としましたね。でも、貴方にそんな権限があるんですか?勇者を誘い出すために私を誘拐して拉致監禁してますけど……貴方の独断ではないですよね?それとも、『俺様』なんてまるでコーガ様みたいな言い方をしますけど、もしかして本当にコーガ様だったりします?大穴から地上に戻れたんですか?」
まっさかねー。なんて揚げバナナの最後の一口を口に放り込みながら苦笑気味に言ったら、目の前の仮面が「ニヤリ」とした笑みを作った。……え?今、仮面に描かれた線が動いたよ?
「何だお前。俺様がリンクのやつに地底に落とされたことを知っていたのか。リンクに聞いたのか?」
続く言葉はまるで本当に『本人』が話しているかのようで、ぎょっとして目の前の男の仮面を凝視していたら、赤線で描かれた一つ目が弓形に変化した。やっぱり線が動いている!
「もしかして本当にコーガ様?見た目はただの構成員の一人みたいなのに?」
「いかにも。訳あって『コーガ様』のいで立ちじゃねーが、俺がこのイーガ団の総長、強く、賢く、逞しいコーガ様よ!」
「……はぁ」
「っておいおいおい!もっと驚け!何だその気の抜けた反応は!」
「い、いやー……コーガ様が大穴に落とされた先でもしぶと……逞しく生き延びているのは知識として知っていましたけど、はぁー……そっか。地上にこうやって戻ることもあったんですねぇ」
「お前本当に緊張感無いな」
「人間って存外図太いものなんですよ」
くふふっと喉の奥で笑ってコーガ様を見たら、大きなため息をつかれた。
「とにかく、だ。カカリコ村でリンクがゼルダと一緒に暮らしてるってのは間違いねぇーの。けどよ、リンクが自分の家に住まわせている女がいるっつーんだったら、使わねぇ手はねぇだろ?ガノン様は封印されちまったが、お前を人質にリンクを脅してゼルダに封印を解かせる。リンクの言うことならゼルダも耳を貸すだろ。ぱっと見た限り、あの姫さんはリンクに惚れこんでるみたいだし、姫さんと二人でいる時のリンクも満更じゃなさそーだったからな」
「……さぁ。どうでしょうね……」
コーガ様からもたらされる情報の真偽はわからないけれど、ズキズキと胸の奥が痛む。私のことを好きだと言ってくれたリンクくんを信じたい。信じたいけれど、信じきれない。それはリンクくんのせいなんかじゃない。私が弱いからだ。私には何も無いから、『勇者』と『姫』のようにこのハイラルで果たせるような特別な何かがあるわけじゃないから、『勇者』であるリンクくんの隣に立てる人なんかじゃないって私が一番私のことを信じられない。
どうして私がリンクくんの『番』として認められたのか、わからない。
どうしてリンクくんが私のことを好きになってくれたのか、わからない。
世界を渡るなんて軌跡が起きるんだったら、ついでに何か『勇者』の役に立つようなチート能力でもつけてくれたらいいのに。今のところ目に見えるような形でそんな『補正』がされているような気配はかけらほども無い。私ができることなんて、せいぜいリンクくんを『勇者』ではなくて『一人の男(ひと)』として見て、剣を置いたリンクくんと一緒にいることぐらいしかない。それだって、私がリンクくんに頼っているような形だ。
リンクくんが近くにいてくれなければ、こんな風に簡単に不安定になってしまう。そんな弱い自分が『勇者』の近くにいて良いはずがない。『私』は『勇者』に相応しくない。『勇者』の隣に立つのは何時だって選ばれた人。何度生と死を繰り返しても必ず巡り合う『ゼルダ』と『リンク』の間に、私のような異物が入り込む隙は無い。私にも、何か『特別』なものがあれば良いのに。ああ、ダメだ。考えれば考えるほど思考の海にはまっていく。ぽたっと何時の間にか頬を伝っていた涙がその重さに耐えきれずに顎から落ちて床に染みを作っていく。
「なぁ、ナマエ」
気が付けば、手を伸ばせば簡単に触れてしまうぐらいの距離にコーガが近づいてきていた。コーガの声にゆるゆると顔を上げれば、いつの間に外したのか仮面をしていない『素』の顔が目の前にあった。その瞳の色は深紅。イーガ団がシーカー族の末裔であることを示す瞳の色。その深紅に惹き込まれていく思考が鈍っていく。
「お前、こんな辛そうな面で泣きながら、それでもリンクの傍にいたいのか」
「っ……わた、し……」
「こんな思いをしてまで、リンクを想う意味はあるのか」
「わたしは……」
「この先もあいつはずっとゼルダを守り続けるぞ。あいつが最後に選ぶのは、お前じゃなくてゼルダだ」
囁くように、けれどはっきりと耳元でコーガに断言された時、バキンっとどこかで何かが割れる音がしたような気がした。
そんなの、言われなくたって私が一番よくわかってる。
だってリンクくんが最後に手を伸ばす先には、いつだってゼルダ姫がいるのだもの。
***
2024.11.12 先行公開