厄災ガノンを倒すためにハイラル城へと向かったリンクくんの背中を見送った翌日、胸騒ぎがして家の外に出たら、ハイラル城の方角に赤黒い雲が流れていくのが見えた。ゲームをプレイしていたからそれが何を意味しているのか私にはわかる。だから遠目に見えるあの赤黒い雲の下、ハイラル平原で今何が起こっているのかがわかる。今、リンクくんは引き返すことのできない戦いに身を投じている。ゼルダ姫と共に。
ぎゅっと殆ど無意識に両手を組んで祈っていた。どうかリンクくんが無事でいますように。生きて使命を果たし、このハテノ村へと戻ってきますように、と。
私には女神ハイリアの声は聞こえない。悪魔像の声も聞こえない。空を泳ぐ『龍』も見えない。唯一、コログの存在を『見る』ことはできたけど、彼らの言葉は聞こえない。今も、不安を感じている私に寄り添ってくれるかのように三人(匹?)のコログたちが私のすぐそばにいてくれて、私の方に顔を向けて何か伝えようとしてくれているけれど、何を言おうとしているのか彼らの声が聞こえることはない。そんな私が『退魔の騎士』であるリンクくんのために出来る特別なことなんて何もない。だけど、特別なことはできなくとも、何もできないわけじゃない。
「ごめんね。私には君たちの声は聞こえないんだ。でも、励ましてくれようとしてるんだよね?ありがとう」
しゃがみ込んでコログたちと目線を合わせてお礼を伝えたら、彼らはお互いに顔を見合わせた後に私にぴとっとくっついてその小さな手でぎゅっと私のことを囲むようにして抱きしめてくれた。……可愛すぎる。
この子達はリンクくんがハテノ村を発ってから間も無くして現れた。それからずっと私と一緒にいてくれる。おかげで寂しくない。お気に入りだったウルフのクッションが無くとも、コログたちが一緒に寝てくれたから昨日の夜は森に包まれたようなリラックスできる香りに包まれて眠ることができた。彼らがいなかったら、一晩中眠れなくて朝まで起きていたかもしれない。もしかしたらリンクくんが私が寂しくないようにとコログたちに私のことをお願いしてくれたのかもしれない。
リンクくんがゼルダ姫とともに厄災ガノンの討伐に成功したら、きっとあの赤黒い空が晴れる。その時が来ることを信じて、今日はここからずっとあの空の方を見ていよう。
「私はここであの空が晴れるのを待つけど、君たちはどうする?」
「……………」
「一緒にいてくれるの?………そう。ありがとう」
よしよしと頭を撫でて謝意を伝えるとプルプルと小さく身体を震わせてから飛び跳ねたり踊るようにステップを踏むコログたち。後で山菜おにぎりでも握ってあげよう。
昼過ぎに赤黒く染まった空はそれから二時間ほど経ってからようやく元通りの空の色へと戻っていった。空が元の色に戻る直前、空高くまで白く輝いた光の柱はきっとゼルダ姫の封印の力だったのだろう。実際に移動したことがあるわけじゃないからいまいち距離感の掴めないところではあるけれど、遠く離れているハイラル平原のことがハテノ村からも見えるなんて。
同時に、何故か身体で感じられるハイラルの空気感が軽くなったような気がした。厄災ガノンの纏う怨念の力が封印されたことで、ハイラルの大地に蔓延っていた禍々しい力も消えたということなんだろうか。エンディングを迎えてから『次の物語』が始まるまでの間のことは原作では描かれていなかったから、これから向こう数年のことは未知のことばかりだ。……でも、それが本来は当たり前のことなんだよね。
今ごろリンクくんはゼルダ姫との再会を果たしているはず。ゲームで知る限り、という枕詞がつくけれど、ハイラル平原にはゼルダ姫が休めるような場所はない。エポナに乗ってカカリコ村まで移動するのかシーカーストーンで移動するのかわからないけれど、きっとしばらくは帰ってこれないよね。寂しいけれど、仕方ない。
「さて、と。一応ひと段落ついたみたいだから、今日は花畑の花を摘んで花飾りを作ろうと思うんだけど、君たちはどうする?」
「……………」
「手伝ってくれる?」
私の言葉にコクコクと小さく頷いて花畑の方へと移動し始めるコログたち。本当に可愛い。
はてさて。リンクくんと再会できるのはどのくらい先になるのかな。しばらく生活できるぐらいの食料は置いていってくれたけど、仕事探して自分でも稼げるようになって、生活できるようにならなきゃね。
この時の私は、リンクくんがハテノ村に戻ってくることを信じて疑っていなかった。いや、正しくは信じていなければ不安に押しつぶされそうだったから、リンクくんは必ず戻ってくると自分に言い聞かせていた。
***
厄災ガノンの討伐に成功した後、ゼルダ姫と百年ぶりの再会を果たした。「私を覚えていますか?」の言葉に「全て思い出せているかどうかはわかりませんが……ゼルダ姫が私の主君であったことは覚えています」と言葉を返した俺に、少しだけ寂しそうな顔で微笑まれたゼルダ姫の表情(かお)に、百年という歳月がゼルダ姫にもたらした心境の変化を見せつけられているようだった。その変化が具体的に何なのかと問われると、はっきりと説明できるだけの『答え』は見つからなかったけれど。
回生の祠で眠っていた間、ずっと意識の無かった俺とは違い、ゼルダ姫はこの百年間の間、厄災ガノンの腹の内から奴の力を抑え続けている間もずっとこのハイラルのことを見ていたそうだ。だからなのか、ゼルダ姫は異世界から俺がハイラルに連れてきたナマエさんのことも知っていた。いや、正しくはその存在を感知したのだという。俺がナマエさんを抱いてこのハイラルにナマエさんの存在を定着させ、百三十七個目の祠の試練をクリアしたその日に。このハイラルに突如として現れた『揺らぎ』として。
「『ナマエ』というのですね。貴方の想い人の名前は」
「はい。……彼女は、祠の試練を課す導師に導かれた異世界の女性(ひと)です。私は、彼女とこのハイラルで添い遂げたいと思っています」
「そう……ですか。それならば急がねばなりませんね」
「え?」
「貴方の帰りをきっと首を長くして待っているでしょうから。とはいえ、どうやらシーカーストーンのワープ機能は機能を停止してしまったようです。貴方には苦労をかけることになり申し訳ありませんが、ハテノ村へと戻る前に私をカカリコ村のインパのところまでは送り届けていただけないでしょうか」
「承知しております。ゼルダ様。この命に代えましても」
「……貴方の命を預ける相手はもはや私ではなく貴方の想い人ですよ、リンク。王国が滅びている今、貴方が騎士として私に仕える必要はありません。貴方の姫付きの騎士としての任を解任いたします。これより貴方は貴方の想う人のために生きるのです。良いですね」
「はい」
ゼルダ様の表情と声に感じたほんのわずかな違和感。
この時、この違和感に気づいていれば俺はもっと早くにナマエさんの元へと帰ることが出来ていただろうか。そうしたらナマエさんにあんな苦しい思いをさせずに済んだのだろうか。
***
カカリコ村からの使者だと名乗る男の人がハテノ村を訪ねてきたのはリンクくんが厄災ガノンを討ち取ったであろう日から二週間が経つ頃だった。ハテノ平原からゼルダ姫を連れて行く先はインパのいるカカリコ村だろうと思っていたし、ハテノ村の中にあった祠がいつの間にか姿を消していたことからもシーカーストーンのワープ機能は使えないだろうから、ゲームプレイ時のマップから読み取った印象と予測でしかないとはいえ、リンクくんがハテノ村に戻ってくるまでにはそれなりに時間がかかると思っていた。だから、二週間の間寂しくないと言ったら嘘になるけれど、コログたちが変わらず傍にいてくれたし、リンクくんが戻ってくるまでは普段通りの生活をしていようと何とか寂しい気持ちを我慢しているところだった。でも、自分で思っていたよりもずっと、ハテノ村でリンクくんを待つだけの日々を寂しく感じていたらしい。
「リンク様はカカリコ村でゼルダ姫と一緒に暮らしておられます。ハテノ村にはもう戻ってこられません」
だから使者と名乗る男が告げた言葉に自分でも驚くほどショックを受け「信じられないのならばご自分の目で確かめに行きますか?」とたずねる男の言葉に頷いてしまった。
リンクくん以外に知っている人といえば、ハテノ村に住むようになってから少しずつコミュニケーションをとれるようになった村人さんたち以外にいなかったのに。いくらゲーム画面で見慣れていたカカリコ村の衣装を着ている人だからと言って、見ず知らずの男の言葉など信じるべきじゃなかったのに。コログたちは、私の服を引っ張って男に促されるまま家を出ようとする私のことを止めてくれたのに。
正常な判断が出来ていれば、男の言うことに耳を貸すことはなかっただろう。だけど……。
「この村にも話が届いているようですね」
「………」
「貴女も耳にしているのでしょう?ここのところ急に魔物が大人しくなった、気分が明るくなった、身体が軽くなった。それもこれも『勇者』が『姫巫女』とともに、厄災を討ったからだと」
「ええ、村を訪れる行商人の方から少しは……」
「まるで御伽噺のようですよね。『姫』と『騎士』がともに手を取り合って強大な敵に立ち向かった。そして見事にハイラルに平和をもたらした」
「………」
「そうなると、次はその『姫』と『騎士』が互いに紡ぎ合う物語を期待することも自然と言えるでしょう」
「………」
「リンク様は『退魔の騎士』『ハイラルの勇者』と呼ばれる御方。ハイラルの姫巫女に次に期待されるのは、この先もその血を繋ぐこと。その相手にリンク様をと望まれるのはごく自然なことですよね」
「そう、……ですね」
ああ、嫌だ。
考えなかったわけじゃない。むしろ、リンクくんに想いを告げられる前からずっと『その展開』は一つの未来として私の中にあった。それを、リンクくんはわかってた。私の中にあるドロドロしたところも含めて、私のことを好きだと。私が欲しいと言ってくれたのに。
男に告げられたことをどうしても信じたくなくて、私はリンクくんの家の中で見つけたカバンにとりあえず今身の回りにあるものでもって行けそうなものだけを詰め、男と一緒にカカリコ村に向かうことにした。荷造りの間に服も旅装であるハイリアの服に着替え、腰ベルトにリンクくんから護身用にと渡された短刀を備えようとして……手に取ったまま固まってしまった。
私にはこの刃で誰かを傷つけることへの覚悟が無い、だけど、自衛のために必要になることもある。ふぅっと小さく息を吐いて、結局短刀は腰ベルトではなくカバンの中に入れて持っておくことにした。護身用の武器をカバンの中に入れては役に立たないとリンクくんには叱られるかもしれないけれど、たとえこの短刀を使える状態で持っていたとして、護身のためとはいえ誰かにこの刃を向けることは出来そうにない。私は、そういう世界で生きてこなかったから。
「準備は出来ましたか?」
「あ、はい。お待たせしました」
家の中には入らず、外で待ってもらっていた使者の方に準備ができたことを告げると、さっそく出発しましょうとハテノ村の入口の方まで移動することになった。そこには幌付きの馬車が停まっていて、この場所は男の持ち物なのだという。初めて見るハイラルでのリアルな馬車にぽかんっと間抜けな顔をしていたら、くすくすと笑う男にブランケットを差し出された。
「カカリコ村までは馬車で移動します。冷えますので、貴女はこれにくるまっていてください」
「わかりました。あの……ありがとうございます」
「礼には及びません。あ、そうだ。よかったらこれもどうぞ」
「これは?」
「お茶です。温まりますよ。よろしければ冷めないうちにどうぞ」
「……えっと……」
「あ、ごめんなさい。よく知らない男から勧められても困りますよね」
「えぇっと……はい。失礼だとは思いますが、リンクくんからも止められているので」
「ははは。構いませんよ。では、出発しましょう」
「はい。よろしくお願いします」
頭を下げた私は、お茶を口にしないことで安心してしまったらしい。それこそが男の狙いだったとも気付かず、素直に馬車に乗り込み、ハテノ村を後にした。
今なら自分でも警戒心が薄すぎたなと思う。
男が私に仕掛けた『眠り薬』は、お茶や食事ではなく、最初に渡されたブランケットに染み込んでいたのだと知ることになったのは、後日、私を拉致したカカリコ村の衣装を着た男……イーガ団が変装していた男の手から私を助けてくれたリンクくんに私の置かれている状況を説明された時だった。
***
2024.11.11 先行公開