09

 お店までリンクくんにタクシーを呼んでもらい、一緒に自宅アパートまでお泊り用の荷物を取りに行くことになった。少しではあるけれどお店を早く閉めさせることになってしまい申し訳ないと思いつつ、リンクくんや三角さんの優しさが心に沁みる。会社を辞めることはリンクくんに出会う以前から時々頭の中をよぎって考えていたことではあったけれど、何だかんだ日々の業務に忙殺されたり、部署関係なく色んな業務でトラブルが発生するたびに対応に巻き込まれる何でも屋状態になっているうちに、本気で自分でも正常な判断が出来ないところまできていたのだと思う。

 リンクくんに出会って毎週のように私のコンディションに合わせた花を見繕って花束を作ってもらうようになって、花屋さんで花を買う生活が自分にとっての日常の風景になって、ハイリア草を使ったオリジナルブレンドのお茶を毎晩飲んでリラックス出来るようになって、夜中に何度も目を覚ますことなくまともに朝までしっかりまとまった時間で眠れるようになって、そうなってようやく、自分の置かれている状況が『異常』だと気付けた。だから、もう思い切って全部捨ててしまおうと意を決して会社を辞めようって決めたんだ。

 だけどやっぱり何となく気が引けてしまってリンクくんに『会社を辞めようと思う』って話した時に、リンクくんが優しい顔で『良いと思いますよ』って言ってくれたのがすごく嬉しくて、安心して、自分で決めたことなんだから大丈夫だよ、私。って、やっと思えたんだ。

「どうぞ、狭い所だけど入って。リンクくんにお花を見繕ってもらうようになってから多少は片付けるようになったから、腰掛けるところぐらいはあるよ」
「あ、うん。じゃあ、お邪魔します……」

 花屋さんからタクシーで十分。信号待ちや道幅の関係で徒歩で移動するのとそれほど変わらない時間で自宅アパートに到着した私は、今の会社に就職してからずっとお世話になっているワンルームの自宅アパートの室内へとリンクくんを招いた。
 玄関ドアを開けるとふわりと香る花の匂い。玄関の照明を点けると目に飛び込んでくるのは壁に飾ったドライフラワーのリース。

「あ……これって……」
「気がついた? これまでリンクくんが見繕ってくれたお花でドライフラワーに出来るものをリースにしてみたの」
「そっか。ナマエさんって器用なんだね」
「リンクくんの方が器用だと思うよ。何時も素敵な花束をありがとう。さ、何もお構いできないけれど中へどうぞ」
「う、うん……」
「ふふっ。そんなに緊張しなくても取って食ったりしないから安心して。あ、うち、ソファー無いからそのベッドに座ってまってて。テレビ見ててもいいし。準備するのにニ十分ぐらいもらっても大丈夫かな?」
「大丈夫。三角さんものんびりで構わないって言ってくれてたし。ゆっくりでいいよ」
「ありがとう。さすが三角さん。相変わらず器が大きいわ……」
「三角さんだからね」
「そうだね」

 ふふふっと二人で顔を見合わせて笑って、リンクくんには部屋の奥にあるソファーベッドに座ってもらい、私は同じ部屋の中にあるクローゼットから大型のトートバッグを出してお泊りの準備をすることにした。リンクくんはベッドで何だか借りてきた猫のようになって背筋を伸ばしたまま膝を揃えて座っている。まぁ、そうだよね。緊張するよねぇ。顔見知りとは言え、他の人のプライベート空間に入るって。

「ごめんね。何か飲み物とかつまめるものとか出してあげられたら良かったんだけど、あいにく冷蔵庫の中が空っぽで……」
「俺は別に構わないけど……冷蔵庫の中が空っぽって、ナマエさん、ちゃんと食べてる?」
「……まぁ、それなりに」
「あー……それ、ナマエさんが誤魔化す時の言い方だ。お店に来るとき、あんなに美味しそうな顔して料理を食べてくれるのに。……食べる暇もないぐらい忙しい?」
「食べる暇はあるよ。お惣菜買って帰ったりすることもあるし。でも、自炊となるとズボラだからねぇ……」
「デートの時にお弁当作ってくれたの、美味しかったよ?」
「あれは日頃お世話になっているリンクくんへのお礼で頑張ったの。ってか、デートじゃないから。お出かけだからね? そこのところ間違えないように!」
「ちっ……気づいちゃったか」
「同じやり取り何回もやってるからね」
「……ナマエさんは日々俺のあしらい方の腕を上げている気がする」
「はは! リンクくんだって。日々、私の癒しどころをピンポイントでついてこれるようになってるよ。何時もありがとうね。……今日も。正直、リンクくんと三角さんがお泊りを許可してくれてありがたかった。何ていうか……今日はちょっと、色々弱っちゃってるみたいだから」
「……うん」
「年下の男の子の君にあんまりこういう弱いところ、見せたくないんだけどね。面倒見の良いリンクくんに甘えちゃった」

 ハイラルに戻ることを考えないといけないリンクくんにあんまり甘えるのは申し訳ないのだけど。ついついリンクくんの優しさに甘えちゃうんだよね……。あぁ……本当に、ハイラルに戻って『厄災ガノン』を討つという使命のある退魔の騎士で勇者なリンクくんに私なんかが甘えちゃいけないのに。祠の試練のクリア……本当にどうすれば良いんだろう。一応、原作をプレイしてみてそこにヒントが無いかなぁなんてゲームの中の『リンク』にハイラル中を旅してもらったりもしたけれど、それらしきヒントが見つかったことは今のところ無い。

 もしかして一緒にプレイしてみたら、リンクくん目線で何か新しいものが見つかることもあるかもしれないとゲーム機を持ち出して原作を勇者本人に見せるというある意味禁断じゃないかと思う荒業にも挑戦してみたけれど、収穫はなかった。一体どうすれば、リンクくんは祠の試練をクリアしてハイラルに戻れるんだろう。私がリンクくんにしてあげられることは何だろう。

 そんな風に考えこんでいたから、リンクくんがすぐ近くに寄ってきていることに全く気付かなかった。

「ナマエさん」
「ひゃっ、はいっ!?」
「そんなに驚かなくても……」

 突然耳元の近くで聞こえた良い声に肩が大きく跳ねて変な声が出た。そんな私の様子を見てリンクくんがくすくす笑っているけれど、君のせいだからね! 抗議の意味を込めてじろっとリンクくんを睨んだら、どこか困ったような笑顔だけど、真剣な色をたたえている空色の瞳と目が合って心臓が跳ねた。

「な、何? どうしたの? 暇になりすぎちゃった?ごめんね、もう少しで準備出来ると思うから……」
「待つのは構わないよ。でもちょっと、聞き捨てならない言葉が聞こえたから」
「……? 私、何かリンクくんを怒らせるようなこと言ってた……?」
「違う違う。そうじゃなくて。俺、ナマエさんには俺にナマエさんの弱いところも見せてほしい」
「え……」

 リンクくんの言葉に、ますます心臓の鼓動が早くなる。これまでもリンクくんがこんな風に真剣な瞳をして私を見てくることはあったけれど、今日の精神状態では不味い。今日の私は本当に気持ちが弱ってる。弱ってるというか、張りつめていたものが切れてリンクくんに気持ちが寄りかかっているのを自覚しているから、この状態は不味い。ただでさえ、今日は私のことを甘えさせるんだなんて意気込んでいるリンクくんなのだ。この流れのままでは何を言い出すか。

 リンクくんは何故だか私のことを好いてくれているらしい。向けられる好意に気づけないほどさすがに鈍感じゃない。でもリンクくんは、いつかハイラルに帰る子だから。……帰らせてあげなきゃいけないから。

「はは! さすが勇者様。うん。ありがとう。それじゃあお言葉に甘えて、今日は寝る時に手でも握っててもらおうかな。三角さん、和室に私とリンクくんの布団を敷いてくれるって、言ってくれてたもんね」
「っえ!」
「お泊まり会みたいで楽しい時間を私は想像しているわけだけど。どう? お姉さんのお願い、聞いてくれる?」
「え、あ……うん。いいの? ナマエさん、俺が手を繋ぐと何時も小動物みたいにぷるぷる震えて真っ赤になってるけど……眠れる?」
「小動物みたいって……そんなにぷるぷるしてないよ! 大丈夫だよ。眠れる。リンクくんに何時ものお茶を淹れてもらえたら、きっともうぐっすりだよ。寝る前のお茶もお願いしてもいい?」
「うん。もちろん。ナマエさんがよく眠れるように心を込めるね」
「ありがとう」

 先手を打たれる前に先手を打ってしまえ。
 踏み込んだようで踏み込みすぎない曖昧な距離感をどこまでのらりくらりと見ないフリをし続けられるのかわからないけれど、とにかく笑顔で無理矢理その場をおさめる。

「話してる間に準備出来たよ。お待たせリンクくん。ちょっと元気出たし、途中のコンビニで少しお買い物したいから歩いてお店に向かってもいい?」
「いいよ。じゃあ、はい。ナマエさん」
「? なぁに?」
「それ。荷物持つよ」
「え、いいよ! 全然重くないし……」
「持ってあげたいんだけど……だめ?」
「ちょっとこら。その顔はずるいよ。私の方が何だか悪いことをしてる気分になる」
「じゃあ気分転換しないとね。はい。俺が持ちまーす」
「あ、ちょっと……もー……強引だなぁ。でも、ありがとう」
「こちらこそ俺のわがままを聞いてくれてありがとう。じゃあ、行こうか」
「うん。お泊まり会、よろしくね!」
「こっちこそ。よろしく」

 ふわりと嬉しそうに笑うリンクくん。そしてさりげなく手を握ってくる。「いい?」「もう繋いでるよ」「そうだね。じゃあこのまま」「まぁ……いいよ」そんなやり取りをこれまで何度してきたかな。
 私の手を握ってはにかむリンクくんのその笑顔から見える好意を、流し続けるのももうそろそろ限界なのかもしれない。ずっと見ないふりをしてきた私の中のリンクくんへの想い。『推しキャラ』ってことじゃなくて、生身のリンクくんへ向かうこの想いを無視出来なくなってきてるって自覚はある。
 今日は特に気持ちが弱っているから、何時も以上にリンクくんの存在に救われているし。

 もしも……もしもだけど、リンクくんに私をハイラルに連れて行ってほしいって伝えたら、その、例の『運命の番』とやらの何やらかんやら都合の良いところで奇跡がおきちゃったりなんかしちゃったりしないかな?
 痛いのも怖いのも嫌だから、そういうことナシで良いのなら、あの美しい世界に行って思いっきり深呼吸をしてみたい。例え、この世界を捨てることになっても、きっと私は後悔しない。家族や友人も、多分、私の選択を尊重してくれる。そういう家族や友人たちだ。
 もしも本当にハイラルという世界に生きることができるとしたら、どんなに幸せだろう。
 まぁ……厄災ガノンや魔物の脅威にさらされていたり、今私が暮らしている世界のような文明は発達していないし、基本は自給自足になりそうだから貧弱なインドア派の私に、生活していく力があるかどうかってところが現実問題として大きな壁となることが明らかなんだけどね。はぁ。

「ナマエさん、夜食に何か買っていくの?」
「違うよ。一泊だけだから、化粧落としとか洗顔とかパッケージになってるお手入れセットを買うつもり。リンクくんも何か欲しいものあったら一緒にお会計しちゃうけど。何かある?」
「んー。そうだね。ポテチ食べたい」
「ポテチ……」
「うん。あれ美味しいね。俺の地元にもあったら良いと思う」
「……『地元』……『ポテチ』……何ていうか、すっかり馴染んでるね」
「?」
「ううん。何でもない」
「……⁇」

 ハイリア人特有の長い耳も、ゲームの主人公そのものの顔立ちも、私以外の人には『この世界』の何処か北欧あたりの出身の留学生のようにしか見えないリンクくん。
 今や使う言葉も話し方も、この世界のリンクくんと同じぐらいの世代の男の子のようにしか聞こえないから、リンクくんがまさかあのゲームの主人公の退魔の騎士本人だなんて誰もそんなこと想像しないだろう。

 ……リンクくんがハイラルに戻った時、この世界のこと……私のことを少しでも思い出してくれることがあるだろうか。
 ……あるといいな。

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2024.10.29 先行公開