俺を、助けて欲しい。
どこかから聞こえてきた女性の声に導かれるようにして『回生の祠』という場所で目を覚ましてから約半年。シーカーストーンに残されていたウツシエの場所や神獣を解放するためにハイラル各地を旅する中で、俺は『回生の祠』で百年の眠りにつく前の自分が経験したことや当時のことをそれなりに思い出したと思う。言い方が曖昧なのは、俺自身が何を思い出していないのかいまいちわかっていないからだ。
だけど別に思い出せていないことがあったとしても今の生活に何も支障は無いし、退魔の剣は見つけられたし、シーカー族が勇者のために遺したらしい『試練の祠』というものも順調に踏破して、体力も気力も十分についたと思う。
だからあとは厄災ガノンを倒して、百年もの長い間、たった一人でガノンを抑え続けているというあの美しい声の主をお救いするだけ……というところまできているのだろうとは思うけど、何となく……何となく踏ん切りがつかなくて、のらりくらりと各地を巡り、魔物討伐をしてみたり隠れているコログを探してみたり、マスターバイクなんていうよくわからない遺物を手に入れたりして時間を溶かしている日々の中、ふと、野営中にシーカーストーンのマップを眺めていて気が付いた。
「あれ……新しい祠が増えてる」
通常、自分で祠を見つけなければマップ上には祠の場所が表示されないのに、気が付いたらフィローネ地方の勇気の泉の近くにオレンジ色に光る祠のマークが出現していた。指先でその祠のマークに触れてみると、表示されたのは『アモール・ファティの祠』という名称。各祠には一万年前に即身仏となったシーカー族の導師の名前が冠されているらしいから、この祠もアモール・ファティって名前の導師が作った祠なのだろう。
ミィズ・キョシアのいた祠みたいな祠だったら面倒だから嫌だな……と思いつつ、女神像に祈っても『これ以上の力は望むべきではありません』と声が聞こえる中、突如現れたこの祠を踏破したらどうなるのだろう、オレンジ色のまま残しておくのも何だかな……と思って祠に挑戦してみることにした。
それが、今俺が置かれている状況の全ての始まりだった。
「我は導師アモール・ファティ。この祠の試練は、女神の祝福の届かぬ場所にて汝の『運命の番(つがい)』を見つけること。一度この試練を始めれば、『運命の番』を見つけるまで試練を終えることが許されぬ。試練に挑むか、挑まぬか。今ここで決めよ」
「『運命の番』って……何か胡散臭いなぁ……。まぁいいや。試練に『挑む』よ」
それでこの祠を踏破したら、いい加減に厄災ガノンに挑もう。
正直、俺が仕えていたというお姫様のことを全て思い出しているわけじゃないけれど、厄災ガノンとたった一人で戦い続けているあの美しい声の主を救えるのが俺しかいないというのなら、俺が心を決めるしかないんだから。
「あいわかった」
「できればそこまで難しくない試練だといいな……」
「それは汝次第よ」
「え……」
ぼそっと呟いた言葉に応える声が聞こえたことに驚く。
これまで導師の声は一方的にしか聞こえなかった。
それなのに今、俺の言葉に反応して言葉を返してきた……?
今までにない状況に何となくこれまでとは違う『何か』が起こる予感がして気を引き締めた瞬間、ちょうど自分が向いていた祠の奥の方から白い光が物凄い勢いで溢れ出し、祠の内部を真っ白に染め上げた。目が眩むほどの白い光の奔流。あまりの眩しさに目をぎゅっと瞑りつつも周囲の気配を探りながらしばらくそのままでいたら、やがて瞼の向こう側の光が収まっていくのがわかった。そして再び目を開けた時……俺はそれまで立っていた祠とは全く別の場所にいた。
「ここ……は? 何だ、どこかの家の中か……?」
今のところは周囲に人の気配を感じないけれど。
警戒のため背中に背負った剣の柄に手を伸ばす。
そしてそのままぐるりと周囲を見渡す。
ぱっと見たところ、室内は濃い茶色で統一されていて壁の一部が物を置くための棚になっているようだった。その棚の上には様々なデザインのティーカップが整理された状態で並べられており、瓶に入れられた茶葉? のようなものも見える。
棚の手前には人が二人分程度の幅のある空間があって、濃い茶色のテーブルが棚と今自分が立っている場所を区切るように設置されている。そのテーブルには幾つか脚の長い椅子が等間隔に配置されており、飲食ができるようになっているように見える。ティーカップが置かれている棚の奥の方は厨房になっているのだろうか。
何だか良い匂いがする……これは……肉シチューじゃないか?
そう認識した途端、ぐぅっとお腹が鳴った。
……そういえば今日は朝から何も食べてなかった。
いや……何なら昨日の昼に海鮮おにぎりを食べてから全くお腹が空かなかったし、魔物と戦っても体力を失う感覚が無かったから、水しか飲んでいなかったかもしれない。
百年前は『健啖家』なんて言われていたのにな。
食べていないことに気が付かないぐらい腹が減っていなかった。
料理をするのは楽しいけど、食べるならやっぱり腹を空かせてから食べたい。
ぐぅ……
周囲に魔物の気配も人の気配も無いし、自分の腹の虫に何となく毒気を抜かれてしまって握っていた剣の柄から手を放す。それにむしろ、この状況だと俺の方が不審者だ。飲食のできる料理屋のような感じがあるし、確実に家人のいる場所だろうここは。
(外に出た方がいいよな……)
部屋の中には見覚えのないものがたくさんあってここがハイラルの一体どの場所なのかはわからないけれど、勝手に部屋に入っているのはまずい。
出口はどこだろうか?
そう思って周囲を見回すと、シチューの良い匂いが漂ってくる方向とは逆の方向から風が流れてきていることに気づいた。目線をやった先には扉。扉には幾つか透明のガラスがはめ込まれていて、そのガラスの向こう側が明るいことから、おそらくその扉がこの部屋の出入り口なのだろうと予想できた。
(花の……匂い?)
流れてくる風の中に混ざる香りに導かれるまま足を進めて扉を開けると、そこにはたくさんの緑と、色とりどりの花……だよな? 見たことがない種類が多いけれど、俺が知っている『花』と同じようなものだろうものが並べられていた。
種類や色ごとに分別されて理路整然と並べられた花にはそれぞれ小さなカードに数字が書かれている。その数字が何を表しているのかはわからないけれど……何だ? 分類番号……にしては、同じ数字が書かれているものが多いよな? もしかして……値段なのか? 三百ルピー? これ、1本の値段なのか?そ れともこの入れ物に入っているもの全部で三百ルピー?
……そういえば、近衛時代のことで思い出したことの中に、女性に花を贈るなんて話があったな。
俺はそういうことには興味が無かったから話半分にしか聞いていなかったけど、恋人や奥さんのいる人は記念日に花を贈るなんてことで盛り上がっていたような……。
城下町に花屋があるって聞いたことがあったけど、自分がそこにお世話になるようなことは終ぞ無かった。その花屋も、今は見る影もないほど破壊しつくされて廃墟になっている城下町の一部だったんだよな。
そんなことを思いながらほとんど無意識に一番手前にあった花に手を伸ばした。
この花は何となく見覚えがある。確か『バラ』という名の花だったはず。
気の良い先輩が意中の人に告白するためにガチガチになりながら、バラの色と本数をどうするかって真剣に悩んでいた。色や本数に意味があることを知ったのは、俺から聞いたわけでもないのに、先輩の方が色んな花の種類や色にこめられた花言葉とやらの知識を披露していたからだ。俺には縁のない話だったからほとんど右から左だったけど。
どうしてだろう。
何故だかさっきから平和な情景ばかりが頭の中に浮かんでくる。
それはこの場所が何処か清浄な空気に包まれているからだろうか。
女神の祝福を受けた泉で感じていたような、清浄な空気に。
あの泉は、俺が思い出した記憶の中では俺が仕える主君の祈りに応えることのなかった場所であったけれど。
「一本のバラは『ひとめぼれ』とか『あなたしかいない』だったっけ。結局、一番わかりやすいやつで告白したんだよな。あの人」
その先輩含め、兵士や騎士時代の同僚たちがあの大厄災の時にどんな運命を辿ったのかはわからない。生き延びていたとして……俺が『回生の祠』から目覚めた百年後まで生きていた人はいない。ハイラル人の寿命の平均がどのくらいだったのか覚えていないけど、プルアやロベリーたちシーカー族ほどは長生きじゃなかったと思う。多分だけど。
はぁ……だめだ。考えているとどうしても気持ちが落ち込んでいく。
厄災ガノンを倒したところで、百年前に失われた命は戻ってこない。
……でも、あの、ハイラル城の中でガノンを抑えているあの人だって、いつ力尽きるかわからない。聞こえてきた声はまだ若かったように思うけれど、百年前に俺が仕えていた主君だというのなら、俺と同じように百年の時を重ねている。俺の見た目が変わらないのは『回生の祠』の回復機能によるものだーなんてプルアは言っていたけど、ガノンを抑えているあの人はどうだろうか。
思い出した記憶の中のあの人は俺と同じハイリア人だった。そのハイリア人が百年の間ガノンを抑えている……となると、俺の身体の成長が『回生の祠』の回復機能で時が止まっているようになっていたのと同じように、何らかの形で生き延びているのかもしれない。
……やっぱり、早く助けてあげないといけないよな。
そう思って手に取ったバラを元の位置に戻そうとした時、不意に横に気配を感じて思わず身構えた。
「あらあら、ごめんなさいね。驚かせてしまったかしら」
それが、このハイラルとは全く違う世界に来ることになってしまった俺がお世話になる老夫婦のおばあさん……三角さんとの出会いだった。
「……そう、あなた行くところがないのね。それならこの家に住む? 主人には私から話をするわ。部屋も余っているし、私たちには子供がいないから孫もいないの。私からするとあなた、私たちに子どもがいたら孫ぐらいの歳ね。あなたぐらいの若いお兄さんが一緒に住んでくれたら何かと心強いのだけど。どうかしら?」
「え……ご迷惑ではないですか? 三角さんの話を聞く限り、この世界には魔物もいないし、俺みたいに武器を持っている人もいないんですよね?」
「ふふ。いいのよ。そんなこと気にしなくて。私としては孫ができたみたいでわくわくするわ~でも、もしもあなたがどうしても気になるのだったら、私のお店のお手伝いをしてくれるかしら」
「お店……ですか?」
「そうよ。お店。ここは花屋と喫茶店なのよ。かれこれ三十年ほどお店を続けてきているのだけれど、さすがにこの歳になってくると力仕事がつらくてね。近いうちにお店を閉めなきゃいけないかしらなんて思っていたのよ。だからあなたがお店を手伝ってくれるならとても助かるわ。まだしばらくの間、ごひいきにしてくれている常連さんのためにもお店を続けたいし。ね?どうかしら」
「力仕事……なら、お手伝いできると思います」
「それなら決まり! ね。あなたの探している『運命の番』なんてロマンチックな相手が見つかるまでハイラルという元の世界に帰れそうにないのなら、ここでゆっくりしていきなさいな。大丈夫。きっとこの世界にあなたが来たのは何かのご縁よ。これからよろしく頼むわね。リンク」
「承知しました」
「あらあら。固いわねぇ。もっと肩の力を抜いて良いのよ。うふふ」
「は……はい。わかりました」
こうして俺は三角さんご夫婦の厚意で花屋兼喫茶店兼住居となっている建物の空き部屋に住まわせてもらえることになった。俺ぐらいの歳の人間はこの世界では『大学』というところに通っている人が大半らしいけど、お店で『バイト』というものをしている人がわりと当たり前にいるらしいから、俺が花屋や喫茶店の手伝いをしていても『孫がバイトを手伝ってくれている』と説明がつくらしい。
「……あの、ところで一つ気になることが……」
「ええ、何かしら?」
「この世界の人たちは、みんな耳が丸いのですか?」
「え……」
「俺の耳は三角さんみたいに丸くないから……」
「あなたの耳、丸いわよ?」
「……え?」
「水色のピアスがよく似合っているわ。あなた、おしゃれさんね。綺麗な顔立ちをしているし、お店にたっていたら女の子にモテそうね。うふふ」
俺の耳が……丸い?
ハイリア人の俺の耳が⁇
三角さんの言葉に思わず自分の耳を触る。
うん。何時もと変わらない。
何度触っても三角さんのような丸い耳だとは思えない。
「あの、鏡ってありますか?」
「ええ。あるわよ。ほら、そこのレジの後ろ側に身だしなみチェック用の鏡があるわ」
「お借りしても?」
「もちろん構わないわ。どうぞ、その奥よ」
「……失礼します」
三角さんに一言断ってから鏡があるという奥の方へ向かう。そこで俺が目にしたのは……やっぱり何時もと変わらないハイリア人の耳。女神の声が聞こえると言われている尖った大きな耳だ。
「三角さん、俺の耳……やっぱり尖ってませんか?」
「私にはやっぱり丸く見えるけれど……どうして?」
「俺の耳……あ、そうだこれを見てもらえば」
シーカーストーンで自撮りしたウツシエを三角さんに見せる。
「あら、あなた、こんな良い笑顔も出来るのね」
「〜ッ! ……えっと、そこではなくて俺の耳、耳の形見てください。丸くないですよね?」
「……私には丸く見えるのだけれど……。あなたが繰り返しそう言うということは、本当に丸くないのかしら。ねえリンク、触ってみても良い?」
「はい。構いません」
ウツシエですら俺と三角さんの目に見えるものが違うのだとしたら、最終手段として実際に触ってもらうしかない。そう思って快諾して三角さんに耳を向ける。
「ちょっと失礼するわね。……あら」
「いかがですか?」
「あらあらあら……あなたの言う通りなのかしら。見た目には丸い耳にしか見えないのに、確かに触れてみると耳の輪郭の先にまだ感触があるわねえ……」
「……あ、の。ちょっとくすぐったいです……」
「あら、ごめんなさい」
俺の言葉に、ぱっと俺の耳から手を離す三角さんはそのまま自分の顎に手を当てると、少し思案気な顔になり、そしてにこっと笑顔になった。
「もしかしたらあなたの探している『番(つがい)』にしかあなたの本当の姿が見えないのかもしれないわね。まぁ、本当にロマンチック!」
「え……えぇっと……」
うふふっと上品に笑う三角さんはどうやらこの状況に全く同じていないばかりか目の前で起こっている不思議なことを楽しんでいるようにすら見える。
「主人が帰ってきたら、主人にもみてもらいましょうね。それで私が見えているように主人にもあなたの耳が丸く見えるのなら、私の仮説通りかもしれないし。主人にはあなたの耳の形が尖って見えるのなら、主人の目が羨ましいわ。ああ……でも、主人があなたの番だとしたら、困ったわねぇ……。私も主人を愛しているから、あなたとは恋敵になっちゃうわ」
「……それは無いと思いますけど……」
どこまでも楽しそうに笑う三角さんに思わず脱力してしまう。だけどもし、本当に三角さんの言う通り俺の見つけなければならない『番』という存在にしか俺の本当の耳の形がわからないのだとしたら、『番』を見つけられるヒントになるかもしれない。
「まぁとにかく、焦っても仕方がないわ。こんな時こそゆっくりどーんと構えて流れに身を委ねるのよ。大丈夫。きっと何もかも上手くいくわ。根拠はないけれど何だかそんな気がするの。きっと大丈夫よ」
「ッ……ありがとう、ございます」
そうだ。きっと大丈夫だ。これまでだって色んな祠の試練を乗り越えてきた。確かに今回の試練は今までのものとは状況が大きく違うけど、乗り越えなきゃいけないってことに違いはない。それならやるしかない。
ガノンに挑むための踏ん切りがつかなくて無為に時間を過ごしていた俺が言うのも何だけど、さすがに……ハイラルに戻らずにこのまま俺がこの世界にいたままになってしまった時に、ハイラルがどうなってしまうのか……気にならないほど薄情じゃない。
「ところで『番(つがい)』というものが何なのか、三角さんはご存知なのですか? 俺の耳の形が見える……ということは、人のことを指すんでしょうか」
「あら。あなた『番』が何かわからないまま探そうとしていたの?」
「はい。お恥ずかしながら」
「まあまあ。ふふふ。そうだったのね。あのね、リンク。『番』というのはね……」
そうして三角さんから教えてもらった『番』が何なのかということを理解した瞬間、顔に熱が集まって思わず頭を抱えてその場にしゃがみこんでしまった。
番というのは二つのものが一組になること。対になるもののことね。あなたの場合は『あなたの運命の番』を見つけることが試練なのでしょう? つまり、あなたにとって恋人や夫婦の関係になるような『運命の人』を見つけるということね。うふふ。ロマンチックね!
***
2024.10.23 先行公開
2024.11.27 本公開