02

 内心では『ありえないこと』を妄想して奇跡を期待しつつ、『いやいや、ありえないでしょ。現実を見ろ私』と冷めた気持ちで自分を律せよ。なーんて。
 そんなことを考えられるぐらいには頭が回るようになってきたから、もしかしたら会社で体温を測った時に体温計の数値が三十八度を超えていたのは、夏休み初日を早朝からの呼び出しで見事に潰され、ブチ切れていたことで頭に血が上っていただけだったのかもしれない。それに加えてこの暑さ?ならぬ熱さで熱中症になっていたのかな。
 花屋さんの店先に広めに設けられた軒下で椅子に座らせてもらって、ご婦人とお話しさせてもらっている間にかなり身体も気持ちも楽になってきた。これなら自分で歩いて無事に家まで辿りつけそう。さっきの男の子……リンクくんにここまで運んできてもらったとは言え、多分、しゃがみこんでしまっていた場所からは五分も無い距離だろうし。それなら十分……十五分ぐらいで家に帰れるかな。

「お待たせしました」
「ああ、ありがとう。良かった。今日はちゃんと自分の分も持ってきたのね」
「はい。……あの、俺もご一緒させてもらって良いですか?」

 店の奥から再び姿を現したリンクくんの手にはアンティークな見た目の丸い銀のお盆。そのお盆の上には三人分のケーキとアイスティーが載っており、リンクくんの動きに合わせてカランっと小さく涼しげな氷の音が響いた。

「ええ、もちろんです。むしろその、ごめんなさい。助けてもらった上にこんな美味しそうなケーキまで。あの、ちゃんとお金払いますから」
「え、えっと……」

 私の言葉に困ったような声をあげておばあさんの方に顔を向けるリンクくん。相変わらずフードで顔が隠れているから表情はわからないけれど、動きと声音で「どうしたら?」とおばあさんに助けを求めているようだった。

「いいのよ。新作の試食をお願いしているのはこちらなのだから。でも、もしも気になるようだったらまた気が向いた時にお店に来てくれたらいいわ。花屋は平日の水木金のお昼から夜の八時まで。喫茶店は土日祝日の夕方六時から夜九時まで営業しているの」
「そう……ですか。……わかりました。じゃあ、近いうちにまた寄らせていただきますね。ありがとうございます」
「ええ、ええ。どういたしまして。さ、リンク。お茶とケーキの説明をお嬢さんに。ああ、そういえば、お嬢さんのお名前を聞いていなかったわね。私は『みすみ』よ。『さんかく』と書いて『みすみ』と読むの。……あ、あら?どうしたのお嬢さん、そんな鳩が豆鉄砲を食ったようなお顔になって」

 三角ってトライフォースか。
 直ぐにそれを連想してしまう自分のゲーマー脳に若干遠い目になるけれど、三角さんがきょとんっとした顔をしているのですぐに現実に舞い戻る。

「い、いいい、いえ。何でもないです……!えぇっと私は……」
「折角だからお嬢さんのお名前で呼びたいわ。貴女の下のお名前を教えてくれるかしら?」
「あ、はい。ナマエと申します」
「ナマエさんね。どうぞよろしくね」
「はい。こちらこそよろしくおねがいします」

 にこにことやはり上品に笑うご婦人。
 ぱちんっととってもチャーミングなウィンクをいただいてしまった。

「ところでリンク。食事の時にはフードは外しなさいね」
「………」
「いつも私たちと一緒に食事をする時は外しているでしょう?あなたには気になるところがあるみたいだけれど……何もおかしなところなんてないわよ?これまでだって、出会った人に何かを言われたことなんてないでしょう?」
「…………………………………………わかりました」

 たっぷりの沈黙の後、渋々と言った体でフードに手をかけるリンクくん。じっと見ているのは失礼だと思ってお皿の上のチーズケーキに視線を落としていたのだけれど(無茶苦茶おいしそうでケーキから目を離せなかったとも言う)、さらりと流れるように視界の端に入ってきた金糸に思わずリンクくんの方を向いたら、吸い込まれそうなほど透き通った空色の瞳と目線が合った。とても既視感のある美人顔と空色の瞳がこちらを真っ直ぐに見ている。
 え、嘘だよね?あの『息吹の勇者』そのものの姿かたちをしているだなんて。俄かには信じ難かったけれど、目の前のリンクくんはあの『リンク』にしか見えない。何よりも決定的だったのは、リンクくんの長いもみあげからのぞく先の尖った長い耳。この日本はおろか、この世界中の何処を探したとしてもきっと見つからないだろう空想上の種族が持つ長い耳。

(お、おおう…?)

 社畜生活で培った崩れることのない営業スマイルを褒めてやりたい。ってか目の前のこの子、頭の中で何度もぐるぐる考えてしまうけれど、どこをどう見てもあの『息吹の勇者』なんですけど。見た目的にまだ青年っぽさが残っているから、時間軸的には百年の眠りから目覚めた方の勇者なんですけど。いわゆる『回生リンク』だよね?これ。えっと……私、幻覚を見てますかねー。あー……ははは。もしかして実は熱中症で道すがらぶっ倒れてて実はこれ全部夢オチとかそんな状況ですかね。……誰か救急車呼んでくれてるかな。路上で熱中症でぶっ倒れてる人をそのまま放置とか無いよね?きっと病院のベッドの上にいるのだと信じたいよ私は!

「どう、ナマエさん。この子、綺麗な顔をしているでしょう?それなのに人前に顔を出したがらないのよ。花屋を手伝ってくれる時は帽子を深々とかぶっているし、喫茶店の時はもっぱら厨房の中にいて接客をしないし、外出する時には必ずフード付きの服を着ているの。時々フードを外したりもするのだけれど、気になるところがあるみたいで……。私たちと何も変わらないと思うのだけれど……」

 い、いや。
 耳の形。
 思いっきり耳の形が違いますやん。
 どこをどう見ても違いますやん。
 思わず似非関西弁になってしまいますやん。

「そうなんですねぇー……はい。とっても美人さんですねぇ。羨ましい限りです」
「うふふ。そうでしょう。そうでしょう?主人とも話しているのだけどね。どうも本人は耳まわりのことを気にしているみたいで……。気になっているのはピアスなのかしら。今時、若い男の子ならピアスぐらいつけていると思うのだけれど。この子の水色のピアス、瞳の色と同じで綺麗よね」
「はい。そうですね。綺麗ですねぇー……」

 いやいやご婦人……三角さん。
 そこじゃない。
 そこじゃないですよきっと?!
 ピアスに注目しておいて、その特徴的な耳に気づきませんか?
 私はそろそろ、その見た目についてツッコミたくなる気持ちを我慢するのが限界です。
 ってか、私が見ているものはきっと幻覚か夢だろうけれど、その耳が本物なのかどうなのか確かめたくて仕方がありません。だって推しだもの。私の最推し(のそっくりさん……だよね……?)が目の前でちょっと困ったような曖昧な綺麗な笑顔でこちらをじっと見つめているのだもの。ってか、全然視線を外してくれない。ものすごくじっと見られている。なぜなぜなぜ何で?!そんな綺麗なご尊顔で見つめられたら色々図太いと友人同僚に言われる私も緊張するんだけど!
 内心を悟らせない営業スマイルを貼りつけたまま、心の中は大嵐。そんな私の心の内を察したかのように、助け舟を出してくれたのは話の中心となっていたリンクくんだった。

「三角さん。そろそろナマエさんに試食してもらいたいのですが……。この温度なのでケーキが溶けてしまいます」
「あ、そうね。あらあら、ごめんなさいね。そうね。リンクの言う通りだわ。お待たせしてしまってごめんなさい、ナマエさん。どうぞお召し上がりになって。リンク、新作はどんなケーキだったかしら」
「レモンピールとオレンジピールを配合した柑橘ミックスのベースに蜂蜜を使用したケーキです。土台にはシナモンとクローブの粉末を練り込んだ少しスパイスのきいたクッキー生地を使っています」

 何それすごく美味しそう。

「さ………さすが健啖家………」

 思わずぼそっと呟いてしまって、慌てて口を閉じる。今の聞かれてないよね?まさかとは思うけど、もしもこのリンクくんが『あのリンク』だったとしたら『健啖家』というワードは危ない。まるで私がリンクくんのことを『あのリンク』だと思っているように聞こえてしまうし、万が一本人でしたー!なんてオチだったら初対面の私が何で自分のことを知ってるんだって気持ち悪いよね?
 恐る恐る、でも何でもなかったかのような顔をしてリンクくんの方を見たら、特に何も気にしていないような顔でにこっと微笑まれた。
 ぐはっ………眩しい……社畜やさぐれゲーマーOLの私には美青年の綺麗な微笑みは眩しすぎるよぉ……。
 なるべくリンクくんの方を見ないようにしてケーキにフォークを入れ、一口大にする。爽やかな柑橘の香りがふわっと広がる。切り口に見えるのは細かく刻んだレモンピールとオレンジピールかな?
 フォークに乗せたケーキを口の中へ。舌の上に乗せてじっくりと味わい………思わずぎゅっとフォークが曲がるぐらい拳を握りしめてしまった。

「ナマエさん……?」
「な………」
「『な』?」
「何これすごく美味しいっ!!」
「!」
「ふふっ。そうでしょう?すごくお料理上手なのよ、この子。お菓子だけじゃなくてお料理も上手だから、喫茶店を手伝ってもらう時には調理場の方で頑張ってもらっているの」
「へぇ……そうなんですね。リンクくん、君、すごいね!」
「あ……ありがとう……ございます」

 私の勢いにちょっと驚いたように、もともと大きいリンクくんの目が僅かに見開かれた後、控えめに照れくさそうにはにかみながら御礼を言われた。その少しくすぐったそうな笑顔が可愛くて、思わず私も笑顔になる。

「これはもう、お礼とか抜きにしてリンクくんの作るスイーツ目当てに通っちゃいそうです」
「!………うん。そう言ってもらえると、嬉しいです」

 う……『うん』って!可愛いっ!
 ヤバイ。マジでヤバイ。
 完全に自分の知っている推しにしか見えないリンクくんの反応が可愛くてヤバイ。

「あの、ナマエさん。良かったらアイスティーも飲んでみてください。顔色はだいぶ良くなってますけど、脱水気味のままだと危ないので。塩とレモンを入れています」
「へぇ……レモンティーは時々飲むけど、塩は入れてみたことないです」
「ケーキを気に入ってくれたのであれば、飲み物も楽しんでもらえると思いますよ。今回は入れていないですけど、ミルクを入れても美味しいです」
「おお……では、いただきます。…………」
「いかがですか?」
「美味しいです!身体に染み込んでいく感じ……暑い日にはぴったりの飲み物ですね。はぁ……美味しい……すごく元気が出ます」
「それは良かったです」

 あぁ……美味しいものは正義!自然とにこにこしてしまう。そんな私を見つめるリンクくんの目が優しくて少しドキッとする。見た目は大学生ぐらいなのに、随分と落ち着いていて、達観した目をしてるなぁ。そんなことも脳内では考えながら、気がつけばペロリとケーキを平らげ、アイスティーも勧められるままに二杯目をおかわりしてしまっていた。こ……これはお世話になりすぎ……!

「ケーキもアイスティーもすごくおいしかったです。本当に、助けてもらった上にこんなに美味しいものまでご馳走になってしまって……申し訳ありません」
「いいのよ。リンクのお料理を美味しいと素直に褒めてくれて嬉しいわ。ありがとう、ナマエさん。それと『申し訳ありません』よりも『ありがとう』と言ってもらえた方が嬉しいわ」
「!あ……そうですよね……。何だか謝り癖がついてしまっているみたいで……。あの、改めてありがとうございました。リンクくんも。ありがとうございました」
「お役に立てたのなら光栄です。顔色も良くなっていますし、もう大丈夫そうですね」
「はい。本当に随分楽になりました。やっぱり感染症じゃなくて疲れが原因だったのかな。一応、病院には行ってみようと思いますが。万が一感染症だった時にはお知らせしたいので、お店の電話番号を教えてもらうことはできますか?」
「ええ、もちろんよ。リンク。お店のカードを持ってきてくれる?それと、あれも」
「はい」

 三角さんの言葉に小さく頷いて席を立ってお店の奥へと消えていくリンクくん。『あれ』って何だろう。そんなことを思いながら待つこと数分。お店の中から再び姿を現したリンクくんの手には、小さなひまわりが一輪と紙袋があった。

「これ、お店のカードとお土産です。ナマエさんがゆっくり休めるように」
「え……」
「紙袋の中に一輪挿し用の花器とハーブティーを入れておいたので、良かったら使ってください」
「そ、そんな、受け取れないです!ここまでしてもらえるようなこと、私、何も……」
「試食のお礼です」
「助けてもらって試食までさせてもらったのは私の方ですよ」
「『美味しい』って言ってくれたのが嬉しかったから……受け取ってくれると、嬉しい……です」
「っ……」

 そ、そこでそんな照れ臭そうにするのは反則でしょう!!

「ナマエさん。良かったら受け取ってあげてくれないかしら」
「えぇ……でも……」
「ご迷惑?」
「い、いえいえ!迷惑だなんてそんなっ!あああっ!そんな、お二人揃ってしゅんっとしないでください!!」

 何か今、二人揃ってぺたんっとなったワンコの耳の幻が見えた気がしたよ!?

「で、では……ありがたく頂戴しますね。このお礼は必ず近いうちに!とにかく先ずは病院の受診結果がわかったらお知らせしますね」
「ええ!待ってるわ。良かったわね、リンク」
「はい。良かったです」

 うふふ
 えへへ

 花屋さんだけどリアルじゃない幻の花がほわ〜と二人の周りを待っているのは幻覚でしょうか。恐縮しつつリンクくんからひまわりと紙袋を受け取り、そろそろお暇しようと席を立つ。

「リンク、ナマエさんを大通りまで送って差し上げて。ここは少し入り組んでいて元の道には戻りにくいでしょうから」
「はい。ナマエさん、歩くのが辛いようだったら大通りまで出てからタクシーを拾ってくださいね。俺が送っても良いんですけど……流石に今日会ったばかりの男に自宅を知られるのは嫌でしょうから、とりあえず大通りまで送ります」
「あ……はい。よろしくお願いします。ありがとう、リンクくん。若いのに紳士だね。とても素敵です」
「っ………あ、……りがとうございます」

 そういう配慮が出来るなんてモテるぞ?……ってか、確実に彼女さんがいるでしょう。この子。こんな良い子、周囲が放っておくわけない。

「あらあら赤くなっちゃって。若いわね〜」
「ちょ、三角さん!揶揄わないでください!とりあえず、行ってきますね!ナマエさん。行きましょう」

 三角さんにうふふっと笑われて尖った耳の先まで真っ赤になっている。その様子が年相応の男の子に見えて、思わずふふっと笑ってしまったら、また少しだけ困ったような目で「笑わないでくださいよ」と拗ねたように言われてさらに笑ってしまった。

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2024.10.22 先行公開
2024.11.25 本公開