私の会社の近くに喫茶店と花屋さんを兼業しているお店がある。平日の水木金が花屋での営業で、土日祝日は夕方から夜九時までの時間帯だけ喫茶店として営業しているそのお店は、平日は朝の八時半から残業込みでほぼ毎日終電近くまで(徒歩通勤だから終電関係ないけど何とか日付はまたぎたくない)、イベントがあれば週末も潰れる(代休は取れるけど残業が増える)環境で働いている社畜な私とはなかなか時間帯が合わないし、休日は家で力尽きているかストレス発散のためのゲームプレイで引きこもりになっている私にご縁があるとは思っていなかったのだけれど……。
まさかその花屋兼喫茶店に私が最推ししているゲームキャラのそっくりさん……ていうか、『本人』がいるとは誰が想像できただろうか。
「あ、ナマエさん。こんばんは。今日は何時もより少しだけ早いですね」
「こんばんはリンクくん。今日もあれ……お願いして良いかな」
「ええ。勿論です。ナマエさんが顔を出せる時にお出しできるように準備していました」
「……何時もありがとうね。リンクくんのおかげで最近少しずつだけど眠れるようになってきたよ」
「それは良かったです」
ふわりと控えめに綺麗な笑顔を浮かべるリンクくん。何処からどう見ても『息吹の勇者』にしか見えない彼と出会ったのは、今から二ヶ月前。まだ茹だるような夏の暑さが厳しい頃のことだった。
その日の私は、時期をずらして取ろうとしていた夏季休暇がクライアント側で発生した事故のために白紙となり、半ば魂が抜けつつも逆ギレ状態で恐ろしいほどの集中力を発揮して物凄いスピードで事故対応にあたっていた。そんなわけで早朝に呼び出された案件を、お昼過ぎにはひと段落つけられるところまで持っていけたのだけれど、会社の給湯室でふらつき、その場にいた同僚が事務室から借りてきてくれた体温計で熱を測ったところ、三十八度越えの高熱があることが発覚したのだ。
ちょうど時期ハズレの感染症が流行っていたということもあり、帰宅命令が出た私は早々に会社を出て、久しぶりにまだ日が高い時間帯に帰宅できることになった。それは良かった。それは良かったのだけど……。
(た……太陽熱に殺される……)
むしろ社内にいた方が涼しくて良かったんじゃねーのと内心泣きそうになりながら会社から徒歩十五分程の距離にある自宅アパートに向かって歩いていたのだけど、いよいよこれはまずいんじゃないかと思うところまで目を回してしまい、どうしようもなくなってしゃがみ込んで俯いて休んでいたところで『彼』に声をかけられたのだ。
「お姉さん、大丈夫ですか」
耳心地の良い声。
目を回してもすっと脳に染み込むような好みの声だなぁ……なんてこんな時でもそんなことを思うんだ私は。なんて呑気なの。と自嘲しつつ、心配してくれていることがわかる声音だったから何かしらか反応せねばとなんとか顔を上げたら、ほどよい距離感のところに男の子が立ってこちらを見ているのがわかった。
ガンガンと頭の中で小人に巨大な鐘を鳴らされている幻覚が脳内に浮かぶような酷い頭痛の中、ちらっと視界に入った男の子はこの暑い中にもかかわらずフードを被っているようで顔は見えない。けれどフードから溢れるように見えている髪色が綺麗な金色だから、髪を染めているのか、海外の人……?
「大丈夫です。少し休んでいるだけなので……。声をかけてくれてありがとうございます。でも大丈夫です。Thank you for caring me. I’m OK. I’m just taking some rest.」
男の子が何者だろうと見ず知らずの人に迷惑をかけるわけにはいかない。だからさっさと帰って涼しいところで寝ようと立ちあがろうとした瞬間、酷い立ちくらみで膝の力が抜けた。
「あ……」
「お姉さん⁉︎」
マズイ。このまま倒れたら何処かに頭をぶつけてしまうかもしれない。そう思って身体を支えるために咄嗟に手を動かそうとしたけれど、肝心の身体の方に力が入らない。
そんな私の身体をぐいっと引き寄せて支えてくれたのは、声をかけてくれた男の子だった。
「大丈夫じゃないですね。あの、申し訳ありません。失礼します」
「え……」
小さく断りを入れられた後に全身に浮遊感。あれ? 何で私は初対面の見知らぬ男の子に横抱きにされているんだろう? さ、さすがにマズイんじゃないか⁈ 男の子の声音とか雰囲気からはこちらを心配する雰囲気しか感じないとはいえ、万が一ということもある。だから降ろしてほしいと意思表示をするために力の入らない腕で男の子の胸元をぐいっと押し除けようとしたのだけれど、びくともしなかった。
「あ、あの! 大丈夫なんで! 降ろしてくれませんか? Hey, boy! I’m OK. Please let me go!」
「あ、……はい。もう着いたので、椅子にかけられるように降ろしますね。それと、俺、日本語で大丈夫です。足元失礼します」
「へ……『着いた』……?」
男の子の言葉に戸惑いながらも顔をあげて周囲の様子をうかがってみれば、目に飛び込んできたのは緑、緑、緑。そして色とりどりの花。
「花屋さん……?」
「はい。俺がお世話になっているご夫婦のお店なんです。おばあさんに声をかけてくるので、ここで少し涼んでいてください。風が通るので、蒸し暑いのも大分ましになると思います。お姉さんのバッグも、ここに置いておきますね」
「あ……」
そう言いながらあっという間に店の奥へと消えていく男の子。う、動きが素早い。最初から店の奥に連れ込まれるでもなく、バッグもちゃんと私の傍に置いていったし、おばあさんに声をかけてくると言っていた。多分、全部意図的に。見ず知らずの男の子に突然横抱きにされた私が怖がらないように配慮してくれたのだろう。実際、店の奥からはその『おばあさん』と思われる女性の声が微かに聞こえてきた。さすがに……これで黙っていなくなってしまったら失礼過ぎる。
それに……ここは何だかとても落ち着く。
さっきの男の子が言っていたように、確かに軒下を抜ける風が涼しくて気持ちがいい。目に入る緑が日頃ブルーライトにやられている目に優しいし、花屋さんらしく風で空気が動くたびに香ってくる花の香りも良い匂いで落ち着く。さっきまで頭が割れるような勢いだった頭痛も少しずつましになってきていて、心なしか熱っぽかった身体も楽になってきたような気がする。これは、ちゃんとお礼を言わなければ。
そう思って大人しく待っていたら、間もなくしてお店の奥の方から足音が聞こえてきて、シルバーグレーの髪をお団子にまとめた見るからに上品な雰囲気のご婦人が姿を現した。優しい微笑みを浮かべているその顔はどこかヨーロッパ系の血を感じさせる。その後ろには、さっきの男の子。相変わらずフードを被ったままだから顔はわからなかったけれど、同じ子だ。
「こんにちは、お嬢さん。気分が悪そうだと心配で連れてきてしまったとこの子から話があったのだけど、少しは楽になったかしら」
「ええ、おかげさまで大分楽になりました。申し訳ありません。そちらのお兄さんにご迷惑をおかけしてしまって……」
「ふふ。良いのよ。この子、困っている人がいると放っておけない性質(たち)みたいで。さすがにお嬢さんほどの大人の女性を連れてきたことは今まで無かったけれど。この暑さですからね。せっかくだから中でお茶していったらどうかしら。この子の作るレアチーズケーキは絶品なのよ」
「え……」
「ここ、お花屋さんと喫茶店なの。喫茶店は週末と祝日の夕方にしか開いていないのだけれど、貴女、ラッキーだわ。丁度この子のレアチーズケーキの新作を試食しようとしていたから、良かったら感想を聞かせてくれないかしら」
「えぇ……と、よろしいのですか? あ……でも、私熱を出していて、感染症も流行っているからって早く帰るように会社から言われて早退したんです。もし感染症だったら感染(うつ)してしまうかもしれなくて……」
「あら。そうなの?」
「ええ。せっかくお誘いいただいたのに申し訳ありません……。お恥ずかしながら、食欲はあるので是非ご相伴にあずかりたいところなんですけど……」
「いいのよ。それなら、風通しの良いこの場所に持ってくるわね。リンク。お嬢さんのためにお茶とケーキを準備してくれるかしら」
「はい。わかりました」
おばあさんの言葉に、こくんっと小さく頷きながら了承の意を示すと店の奥へと入っていく男の子。おばあさんが呼んだ彼の名前に一瞬ドキッとした。何故ならその名前は、私が社畜生活の合間をぬってプレイしている大好きなゲームの主人公の名前と同じだったから。フードから見えていた髪の毛の色も、画面上で見ている主人公の髪色と同じだったし、金髪で『リンク』なんて名前を聞いたら真っ先にその『勇者』を思い浮かべてしまう。
(なーんて、まさかねー。海外出身の人でも『リンク』って名前の人には今まで生きてきて対面してきたことがないからうっかり意識しちゃうけどさ。そのぐらい沼ってるけどさ。そんな都合良く二次元の推しと三次元で……というか世界観すら越えて出会えるなんてことあるわけないさー)
おっと。ついつい某海辺の村の人みたいな語尾になってしまった。
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2024.10.21 執筆開始→先行公開
2024.11.23 本公開