「ここのところ、ずいぶんとご機嫌だねナマエ。何か良いことでもあったのかい?」
「テルマさん!」
厨房でランチタイム前の下準備をしていたら、テルマさんがにこにこしながら声をかけてきた。
「鼻歌……というより、歌が聞こえてきたよ」
「え、本当ですか!?」
準備をしながら無意識に歌を歌っていたらしい。自覚がなかっただけにちょっと恥ずかしい。照れ笑いを浮かべていると、テルマさんからよしよしと頭を撫でられた。
「ずいぶんと表情が柔らかくなったよ」
「そ、そうですか?実はゆっくりお話しができるお友達ができまして……」
「へぇ?この酒場の常連の誰かかい?」
「いいえ、大きな狼さんなんです」
「……狼?」
「はい。こんなこと言うと夢でもみてるんじゃないかと言われそうですが、皆さんには見えないみたいなんですけど……しばらく前から大きな狼さんが遊びに来てくれてまして……」
「へぇ……その狼、どんな姿をしているんだい?」
「灰色と白の剛毛に、額に文様のような模様。耳に青いのピアスをつけて左脚には足枷がついてるんです。とっても優しくて、賢い狼さんなんですよ」
思い出すだけで思わず口角があがってしまう。
優しい狼さんのことを思い出すと、しあわせな気持ちになれるんです。と続けたら、テルマさんが少しだけ目を細めて頭を撫でてくれた。
「そうかい。それならきっと……ナマエはもう大丈夫だね。何たって聖獣様がついてくださってるんだから」
「聖獣……ですか?」
「ああ。そうさ。聖獣様は、ナマエの身体だけじゃなくて心も守ってくれる。『守る』ものが大事なものであれば大事なものであるほど、頑張れるものだからね」
「は、はぁ……」
「だから仲良くおやりよ」
「はい!」
テルマさんに笑顔で元気よく返事をしたら、にっと笑って今度は背中をトンっと軽く叩かれた。
「そうだ。ナマエに言っておくことがあったんだ」
「何ですか?」
「明日、またリンクがここに来るんだけど、会えそうかい?直接謝りたいって言ってたろ?ここのところのナマエの様子なら、大丈夫かなと思うんだけど。どうだい?」
「あ……える、と……思います。この前……突然だったから怯えてしまったけど、よくよく思い返したら優しい人なのかなって思えるところもあったので。それに、テルマさんのお墨付きだし。イリアちゃんの幼馴染でもあるんですよね?……頑張ってみます」
「ふふ。そうこなくっちゃ。心配しなくてもアタシもいるからね。無理だと思ったら遠慮なく退席していいよ。リンクにも話はつけてあるから」
「へ?そうなんですか?」
「ああ。リンクはリンクでナマエを怖がらせたことを気にしていたからね」
「そうでしたか……それは申し訳ないことをしました」
「それを直接伝えたいんだろ。大丈夫。リンクならナマエのことを悪いようにはしないよ」
「……はい」
***
「そんなわけでね狼さん。明日、勇者様が酒場に来るんだって。前に思いっきり怖がってから二週間ぶりなんだけど……頑張ってあの時のこと、謝ろうと思うんだ」
今日も今日とてもお昼休憩中に現れた狼さんを相手に、半分独り言のように話をする。時折ふすふすと鼻を鳴らして相槌をうってくれる狼さん。テルマさんは聖獣様って言ってたけど、こうやって人の言葉を理解しているところも聖獣だからなのかな。
狼さんは大人しく私に撫でられながら、気持ちよさそうに目を細める。大きな身体をしているけれど、今は甘えてくれているみたい。ぱたぱたと動くしっぽが可愛い。尻尾の方は絶対触らせてくれないけど、いつかモフらせてもらおう。
「その上で、どうして私のことを知ってそうだったのか、聞いてみようと思う。もしかしたら……私の中から消えていっている記憶に関係することを知っているかもしれない。そうしたら、元の世界に戻るための方法にも辿り着けるかも知れないしね。この世界にずっといても……一人でずっと生きていくの怖いし」
苦笑しながら言ったら、何故か不満そうな顔をする狼さん。伏せていた身体をのそっと起こすと、私の首元に鼻先をぐいぐい寄せてきて、私を囲むように身体も擦り寄せてきた。
「えっと……もしかして『守ってやる』なんて思ってくれてたりする?」
「わふっ!」
狼さんの行動にまさかと思って聞いてみたら、元気な声が返ってきて嬉しくなる。
「聖獣様がついていてくれたらとっても頼もしいね」
「ぐるぅ……」
「ん?聖獣様と呼ばれるのは嫌?」
「わふ」
「狼さんがいい?」
「わふっ!」
「ふふ。わかったよー。狼さん。可愛い〜!やっぱり好き!勇者様と会う時にも一緒にいてくれる?」
「わ……わふぅ……」
「それはできない?……そっか。狼さんが一緒にいてくれたら心強いなぁって思ったんだけど……。一人で頑張ってみるね!」
「わふっ!」
「それで……頑張ってみるんだけど……勇気出すのにちょっと応援して欲しいな」
「?」
「ここにキスしてくれる?」
「!」
「……ダメ?」
「ぐ……ぐるぅ……わふ」
人差し指で唇を指し示したら、狼さんがまたひどく動揺してしまった。頬や首元に鼻先を擦り寄せてくれるようになったから、唇にもやってくれないかなぁと思ったのだけど、そこは躊躇があるらしい。
狼さん、まるで人みたいだなぁ。
唇へのキスは狼にとっても特別なのかな?
「キス……して欲しいな」
ダメ元でもう一度言ってみる。
すると狼さんは何度か口をぱくぱくさせた後、いつかのように意を決した顔をして、そして私の唇に狼さんの鼻先の少し下側……口の部分をちょんっと当て、そして直ぐに離れるとそのまま姿を消してしまった。以前に鼻先に私からキスした時と同じ行動。多分、すごく照れてる時の行動。
「ふふ。ありがとう狼さん。私、頑張ってみるね」
そっと狼さんの口元が触れた唇に触れながら、嬉しさでどうしようもなくにやけてしまう。結局その後もずっとふわふわした気分のままご機嫌で、テルマさんに「花が飛んでるよ」と言われた。