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 ナマエさんと『恋人』の関係になって、間もなくして会社を退職したナマエさんと三角さんに紹介してもらった部屋で一緒に暮らすようになって、花屋と喫茶店の仕事に出かける時には毎日『行ってらっしゃい』を言ってもらい、帰ってきたら『お帰りなさい』と笑顔で迎えてもらえるようになった。その度に多幸感でいっぱいになってキスしたくなるけど、キスするとハイラルに飛んでしまうからハグするだけで我慢するようにしている。ナマエさんと一緒にいられることが本当に嬉しい。手の届くところにいてくれて、出会った時のような疲れた顔じゃなくて、きっとナマエさん本来の顔なんだろう。素直に色んなことに表情を変えるナマエさんが俺と一緒にいることで穏やかな気持ちになっているのだろうことをすごく嬉しいと思う。それと同時に……一緒に過ごす時間が増えれば増える程、生殺し状態になることも増えていて、俺は日々自分の欲と戦ってる。今も。

「ナマエさん……またソファーで寝落ちしてる」

 喫茶店の仕事から帰ってくるといつも十一時近くになってしまうのだけど、ここのところぐっと冷えるようになったからなのか、帰ってくると度々ナマエさんがお気に入りのウルフのぬいぐるみ(俺としてはお気に入りがあの『ウルフ』というところが複雑)をぎゅっと抱きしめてソファーでブランケットをかけて眠っているところに遭遇するようになった。
 ソファーのテーブルの上には『ハイリア文字』を練習したノート。世界観への理解はあってもハイラルの文字を読むことができないナマエさんは、一念発起して『ハイリア文字』の読み書きを出来るようになろうと頑張っているのだけれど、どうしても記号にしか見えないと泣きそうになりながら勉強しているうちに、いつも睡魔に襲われて寝落ちしてしまうのだそうだ。本人としては集中して『勉強』をすることなんてものすごく久しぶりだし、身体の調子でどうしても睡魔に勝てない日があるのだと言っていたけれど、出会った頃はむしろ眠れなかったのに、今は眠くて眠くて仕方がないのだそうだ。「睡眠障害かな。仕事辞めてストレスから解放されたはずなのにね。困っちゃったな」なんて苦笑していたけれど、そろそろ本気で医者に診てもらった方が良いんじゃないだろうか。
 いつものようにナマエさんのためにと持ち帰ってきたミニブーケをテーブルに置き、ナマエさんをブランケットごと抱き上げてナマエさんの寝室へと連れて行く。ベッドにナマエさんを横たわらせ、ベッド脇に置いてある照明を点けてから眠るナマエさんの様子を確認する。
 呼吸は正常で、顔色も別段異常がない。本当に眠っているだけなのだ。見た目だけなら。
 じっと顔を見ているうちに、ふっくらとした唇に目がとまる。……キスしたい。キスだけじゃなくて、それ以上のことだって。
 ナマエさんに『好きだ』って言って『好きだよ』って言ってもらえる関係になれた。ナマエさんは俺とハイラルで生きるためにこの世界を捨てても良いって言ってくれた。ハイラルで生きるために、こうして文字の読み書きの練習もやってくれているし、電気やガスを使わない方法での料理や、洗濯機を使わない洗濯なんかも頑張ってくれている。ナマエさんは、一体どのくらいの長い時間キスしてたら試練をクリアしたことになるんだろうね……なんて首をかしげていたけれど、キスじゃ……キスだけじゃ試練をクリアしたことにはならないんだってもう俺にはわかってしまってるんだ。
 三角さん……の旦那さん。俺とは違う形でこの世界にやってきて、この世界で生きることを決めた人。あの人から教えてもらった。世界を越えた先で、自分の存在をその世界に定着させる方法を。その方法をもってナマエさんを『ハイラル』に定着させる。その方法は、俺が予想していた方法と同じだった。そしてそれが、おそらく祠が俺に課した試練のクリア条件。試練をクリアしたいなら、俺の『番』の存在を『確実なもの』にしろということなんだろう。正直、理解できない。どうして祠の試練にそんなものがあるのか。世界を渡って『この世界で生きている』人にその人の生きている世界を『捨てさせる』ことをさせたとして、それが一体『勇者』の何の役に立つのだろうか。
 そっと目元に流れるナマエさんの前髪を指先で払う。
 ただ……『勇者』にとって役に立つことなのかどうかはわからないけど、俺にとっては間違いない。貴女がハイラルで俺と安心して平和に生きていけるように、厄災ガノンを討つ。

「……ナマエさん。目が覚めてるよね」
「ん……バレてた」
「気配でわかるよ」
「流石だね、リンクくん。今日こそ騙せると思ったのに」
「寝たふりをしてたのは俺がこの部屋に連れて来てからでしょ。リビングで寝てるときは本当に眠ってたよね。ウルフによだれ垂れてたよ」
「えっ!嘘!」
「うっそー」
「ちょ、こら!リンクくん!大人を揶揄わないのっ!」
「無理。ナマエさん可愛いから。ついつい揶揄いたくなる」
「すっかり遠慮がなくなったね」
「可愛すぎるって罪だね。ナマエさん」
「何で私が悪いみたいになってるの!」

 もうっと頬を膨らましながら横たわっていたベッドから起き上がるナマエさん。

「今何時?」
「もうすぐ十二時」
「あー……そっか。そんな時間か。お帰りリンクくん。ごめんね。お迎えできなくて」
「いいよ。帰ってきてナマエさんの寝顔を見られるのも得した気分になれるから」
「だったら一緒に寝てもいいのに」
「………我慢できなくなるからやめとく」
「リンクくん」
「………」
「私にキス以上のことをしてこないことに何か理由があるの?」
「っ………な、別に……無い、よ」
「私はリンクくんとキス以上のことをしたい」
「!」

 ベッドに膝立ちになったナマエさんの胸元にぐいっと強く頭を引き寄せられ、そのまま抱きしめられた。押し付けられた双丘のその柔らかさに心臓が跳ねる。顔に伝わってくるナマエさんの鼓動が速いのがわかって、自分の鼓動がもっと早くなる。
 俺、必死で我慢してるのに。こんなことをされてしまったら、我慢できなくなってしまう。キス以上のことを、恋人の関係になる前からしたいって思ってたんだから。

「……ナマエさん」
「なぁに」
「……お別れ、済ませた?」
「え……?」
「ナマエさんを、もうハイラルに連れていってもいい?」
「それって……」
「うん。俺、三角さんのご主人にヒントをもらって、どうやったら祠の試練をクリアできるのか目途がついてるんだ」
「そうだったの!?早く言ってくれれば良かったのに……。だってもう、この世界に来てから半年近くになるんだよね?祠の試練をクリアする方法がわかってるんだったら、早く帰りたいでしょ?」
「う、うん。まぁ……。ナマエさんが俺と一緒にハイラルに来てくれるって言ってくれたし。でも、……帰るためにって思われるのは嫌だから……」
「ん?どういうこと?」
「………」
「リンクくん。話して。何をすれば祠の試練をクリアしたことになるの?」

 俺を抱く腕の力をゆるめ、じっと強い視線でナマエさんが俺と視線を合わせてくる。うぅ……その真剣な顔ですら可愛い。俺のことを案じてくれているってことが伝わってくるから。

「多分、だけど……」
「うん」
「俺が、ハイラルでナマエさんを抱けば良いんだと思う」
「………………えぇっと?」
「ご、ごめん。何言ってるんだって思うよね?!でも、三角さんが言うには、三角さんがこの世界で奥さんとその、そういう関係になってからはハイラルに戻れなくなったって言ってたんだ。だからきっと、俺にとっての特別な『番』であるナマエさんを『見つけた』ことを証明するには、ハイラルにナマエさんを連れて行って、かつ、ナマエさんの存在がハイラルに定着する必要があるんじゃないかって。本当、何を言ってるんだって自分でも思うけど!!」

 あああ……ナマエさんから伝わってくる空気に戸惑いと呆れ?のようなものが混じっているようでいたたまれない!!でも、これだけは伝えておきたい。

「けど、俺は祠の試練をクリアするためにナマエさんを抱くんじゃなくて、俺がナマエさんを抱きたいから、ナマエさんが俺に抱かれても良いって思ってくれるようになるまでは我慢しようって思ってて!だけどキスしたり一緒に寝たりなんかしたら、俺、絶対我慢できなくなってしまうから。だから………!」
「う、うん。わかった。事情はわかったから、落ち着いてリンクくん」

 ふにっと唇を人差し指でおさえられ、思わず押し黙る。
 俺を黙らせたナマエさんが、ふぅっと小さく息を吐いた後に苦笑する。

「リンクくんや三角さんのご主人が世界を越えるなんてトンデモ事件が起きてるんだから、今更何を言われたって驚かないよ。何だそれ?って思うところではあるけれど。すごいね祠。まさかの試練だわ……驚きはしないけれど、引くわー……。リンクくんも大変だよね。まさか祠の試練で自分の『番』を見つけることを強制されるなんて。しかも、そのために自分が生きている世界とは全く別の世界に飛ばされるなんて。ハードモード過ぎるね。ただでさえ『退魔の騎士』として厄災ガノンを倒すことを課せられちゃってるのに」
「ナマエさんこそ。まさかゲームの中の『リンク』が自分の目の前に現れてこんなことを言われるようになるなんて思ってもみなかったよね。ごめん。巻き込んでしまって」
「……巻き込まれたなんて思ってないよ。リンクくんは私を助けてくれたんだから」
「俺が、ナマエさんを助けた……?」

 ナマエさんからの言葉に首を傾げたら、離れていたナマエさんの胸元にもう一度抱き寄せられた。

「リンクくんに会えなかったら、きっと私、もっと早くに違う意味で世界を捨てていたよ」
「ッ……」
「ふらふらになってしゃがみこんでいた私を助けてくれてからずっと、私はリンクくんに助けられてきた。眠れない私のためにこの世界では手に入らない貴重なハイラル草を使ってブレンドティーを準備してくれたり、少しでも気分が明るくなるようにって考えながら花束を作ってくれたり、まともに食事をしてない私を食べさせるために少し強引にお出かけに誘ってくれたり、喫茶店にご飯を食べに行った時はちょっとオマケしてくれたりしてたでしょ?そういうリンクくんの気遣いっていうか、私のことを考えてくれているところに、ものすごく救われていたんだよ。私」
「ナマエさん」
「君が私に向けてくれる気持ちも、最初の頃は何でこんな年の離れた異世界の女にそんな気持ちを向けるんだろうって思ってたけど。……いや、正直に言うと今でもそう思ってるんだけど」
「ナマエさん!俺、本当に貴女のことが好きなんだ」
「うん。ありがとう。疑ってないよ。ただ、私に自信が無いだけ。君の『運命の番』というのなら、ゼルダ姫の方がよっぽどその存在にふさわしいと思っているから」
「……それは、俺の先輩たちの物語の流れもあるから?『ゼルダ』と『リンク』と『ガノンドロフ』のトライフォースの物語をナマエさんが知っているから?」
「そう」
「まあ……俺もナマエさんから教えてもらったことを知った手前、ナマエさんがそんな風に思うのも理解できる。でも、俺は今、ナマエさんの目の前にいる『リンク』は、物語の中の『リンク』じゃない」
「うん。それもわかってるよ。ごめんね、そんな不安な顔しないで。ちゃんと私が今話をしているリンクくんは、私が一人の男の人として好きになったリンクくんだってわかってるから。私のことを好きになってくれてありがとう、リンクくん」
「ナマエさんも。……ナマエさんも俺のことを好きになってくれてありがとう。俺も……」
「うん」
「俺も、ナマエさんに救われたんだよ」
「……そう。じゃあお互い様だね」
「うん。お互い様だ」

 少しだけ身体を離してお互いに額を合わせて笑いあう。

「でもまぁ、一緒に暮らし始めて色々だらしないところも今まで以上にたくさん見せているから、てっきりリンクくんには女として見てもらえなくなっちゃったのかなぁなんて思ってたから、そうじゃなかったみたいで良かった」
「お、女として見ないわけないよ!無茶苦茶見てる!!お風呂の後の濡れた髪が色気あり過ぎとか、同じ石鹸の匂いがするとか、さっきだってブランケットから足がむきだしになってたから俺ッ……!」
「ちょ、ちょっと落ち着こうか。色々駄々漏れだよ、リンクくん。あと、勢いで押し倒してるの気づいてる?」
「あ………ご、ごめんっ!!」

 あわててナマエさんの上から退けようとしたら、ナマエさんに服を引っ張られて退けられなかった。それどころかナマエさんと並んでベッドに横になる体勢に誘導されてしまって、そのままナマエさんが俺に擦り寄ってきたから固まってしまって動けなくなって、そのうちにナマエさんの腕が俺の背中にまわってぎゅっと抱きしめられてしまって全身が熱い。

「ナマエさん、ほんっと俺……」
「ん。ハイラルに行ったら、我慢しなくていいから少しだけお願い」
「うぅ……ナマエさぁん……」
「ふふ……ご、ごめんね。ふふっ……」

 この世界とさよならするために部屋の片付けもしないとね。
 本当にハイラルから戻れなくなった時にお世話になった三角さんに迷惑にならないようにきちんと後始末していこう。立つ鳥跡を濁さず。そんな諺がある国だからね。ここは。

***

 そうして年末に向けて街のいろんな場所に赤と緑のモチーフが飾られるようになった頃、私は家族や友人に「海外に行くことになった」とだけ告げて簡単にお別れをすませ、三角さん夫婦にもこれからのことを話し、本当に戻れなくなったとしても構わないように一通り部屋の中の掃除と片付けを済ませた。三角さんから借りた部屋は家具家電付きの部屋だったから片付けるものはそんなに多くない。私自身の持ち物も、アパートからこの部屋に引っ越してくるときにかなりの量を処分したから、手元に残したものはスーツケース二つ分ぐらいの荷物だけ。それも、リンクくんの持っている不思議ポーチの中に収納してしまえるとわかって、実質、何も残さないで済むことがわかっている。

 まあまだ本当にこの世界に戻ることがないのか百パーセント確定しているかどうかと言われると何とも言えないところだけれど、三角さんご主人と同じであれば、私はきっともう二度とこの世界に戻ってくることは無い。寂しくないかと言われたら少しは寂しい。それでも、薄情と思われるかもしれないけれど、リンクくんと一緒にハイラルに行けることへの期待の方が余程大きい。
 ただ、この世界にある色んな遊び場に行けなくなるのはちょっと勿体ないから、ここぞとばかりにリンクくんといろんな場所に遊びに行った。どこもかしこも王道のデートスポット。水族館、図書館、遊園地、温泉、大型レジャー施設、ゲームセンター、エトセトラエトセトラ。どこに行ってもイケメンリンクくんは人の目を引くけど、相変わらず誰もリンクくんのことをあのゲームの主人公だとは認識しない。ゲームセンターのプライズで自分のぬいぐるみをとったリンクくんの複雑な心境なんだろうなとわかる微妙な顔がかなり面白かった。私がにこにこしながら『ぬい』を胸元にぎゅーっと抱いていたら、自分の顔をした『ぬい』にヤキモチやいてた。可愛すぎる。

「ナマエさん、準備は良い?」
「うん。良いよ」
「……ねえ、何で俺の方向いてくれないの?」
「目がつぶれるから」
「何で?!」
「だ、だって!生で英傑の服着てマスターソード持ってフル装備しているリンクくんだよ!?恰好良くて目がつぶれる!!」
「淑女の服だったらガン見するって言ってたくせに……」
「そりゃ見るよ!」
「何で!」
「絶対可愛いもん!!それが見たいから厄黙でも頑張って手に入れたぐらいだもん!!」
「あああっ……俺じゃないけど『俺』が淑女の服を着てる姿は忘れてよ!」
「嫌だ。脳内に焼きつけておく!!」

 ぎゃんぎゃん言ってじゃれあいながら、ぎゅっと抱きしめ合ってどちらからともなく顔を寄せる。キスしている時間でハイラルにいられる時間が変わるから、ハイラルに私が『定着』するための行為をするならそれに十分な時間が確保できるぐらいの時間はキスしないと。まさか『いたしている』途中に戻ってくるなんてどうしようもない事態になりたくないし。
 そういえば、ただ重ねるだけでも気持ちの良いリンクくんとのキスを深いキスにしてしまったら溺れてしまいそうだと思っていままで絶対に口を開くことをしなかったけれど、キスよりもっとすごいことをしようとしているんだから、もうそういうの気にしなくて良いよね?
 息継ぎの間に舌先でリンクくんの唇をぺろっと舐めたら、至近距離にあったリンクくんの顔が驚きでいっぱいになって、その直後、空色の瞳に情欲の炎が灯ったのがわかった。

「我慢、しなくて良いって言ったよね」
「い、言いました」
「覚悟してね、ナマエさん。舌出して」
「は……はぁい……」

 ぎゅっと目を瞑って言われた通りに舌を出したら、あっという間に食べられた。温かくて柔らかいリンクくんの舌で咥内をなぞられてその気持ちよさにゾクゾクして力が抜ける。腰を抱いて私の身体を強く抱きしめるリンクくんに身体を委ねて夢中になってキスしているうちに、何時もの青白い光が空間を満たす祠の中へと移動していた。

「今、何分ぐらい経ったかな?」
「……三分ぐらい?でも、もっと、ナマエさんとキスしたい。周囲にガーディアンの気配無いし」
「ん。いいよ。キスしよう」

 そのまま唇が腫れるんじゃないかと思うぐらい何度も深いキスを交わして、そのまま床に倒れこんだ。

***
2024.11.03 先行公開