エピローグ

 真夜中の月明かりの下で凛と咲く花のような人だと思っていた俺の初恋の人は、俺の隣で生涯を共にすると誓ってくれた。

 世界よりも俺個人の幸せを一番に考えてくれるその人の今の一番の目標は、俺を唸らせるほどの美味しい料理を作れるようになることらしい。
 『当面の間は』という前置きこそあるものの、厄災ガノンの脅威がなくなり平和になったこのハイラルで生きるために必要なのは、魔物と戦う力ではなく生活力だと。
 野宿飯ではなく台所で料理ができるようになりたいのだと、炭と化した『元』料理を目の前に拳を握りながら遠い目をしていた時には、失礼だと思いつつも吹き出してしまった。

「くっそ! 笑っていられるのも今のうちだからな! 絶対に『美味しい』って言わせてやるからな!」
「ナマエが作ってくれるアップルパイならずっと昔から美味しいよ?」
「君に美味しいものを食べさせてやりたいと思って、無茶苦茶頑張ったからな。私自身の味覚はイマイチだったが、ボコブリンたちに美味しいリンゴの見分け方を教えてもらっていたから、素材の味で何とかなっていたんだよ」
「え……そうだったんだ」

 初めて明かされた真実に、驚いて目を見開いたらドヤ顔を向けられた。

「そうだぞ! 今でもあいつらとは時々一緒に狩りをする仲だ。同じ個体ではないがな」
「……ナマエって」
「何だ」
「ほんと、何でもありだね」
「まあな。目的の為なら手段を選ばないから、魔物とだって意思疎通ができるなら仲良くさせてもらうさ。ちょっと野性味の強すぎる臭いがするが、あいつらだって別に人を襲わなければ住み分けできるやつらだし。赤い月の夜は別だったから殲滅することも多々あったが」

 魔物たちは倒しても存在が空に溶けるだけだし、ニンゲンが存在する限り魔物は減らないだろうからな。なんて聞き捨てならないことをあっけらかんと口にしながら、仲良くしている相手であっても殲滅する時はするナマエの容赦のなさにぞくっとする。怖いのではなく、楽しいのでもなく、何と言えば良いのだろう。……興奮する?

「じゃあ、今のナマエの目的は?」
「無論、君に美味しいものを食べさせて君に幸せを感じてもらうことだ。君が料理上手だから私の方が幸せになってばかりなのも私としては悔しい。ついでに少し服がきつくなってきたのも悔しい」
「悔しいって……くくっ。ナマエの触り心地が良くなっているのは俺としては大歓迎だよ」

 言いながら台所に立つナマエを背中からそっと抱きしめて胸の方に手を伸ばしたら、ぺちっと強めに叩かれた。ちっ……だめだったか。

「ぬかせ。その手には乗るか」
「……残念。でも、そうは言うけど昔に比べたら作れる料理も増えたよね」
「頑張ったからな!」

 ふふふっと楽しそうに笑うナマエに自分まで楽しくなる。
 そして可愛い。

「うんうん。頑張ったよね。ありがとう、ナマエ」
「こ、こらっ! 子供扱いするな。これでも私は……!」

 可愛いからよしよしとナマエの頭を撫でたら、後頭部で頭突きされそうになった。
 もちろんかわしたけど。

「うんうん。何百年も生きてるお姉さんだもんね。可愛いね」
「だから、子供扱いするなと……!」
「可愛くて綺麗なお姉さんを子供扱いなんてするわけないよ。今夜も大人の仲良しをしようね」
「うっ……」

 頭を撫でる手をとめて、ちゅっとうなじに口づけるとぴくっと肩を震わせるナマエ。
 これまで何度となくしていることなのに、こうしていつまでも反応を返してくれることが嬉しいと思う。

「嫌?」
「……嫌なわけない。わかってるくせに。言わせるな、馬鹿者」
「はぁ……」
「何だ。そのため息は」
「今すぐ抱きたい」
「……後で、な」
「ははっ。耳まで真っ赤。可愛い」
「う、うるさいっ……ちょ、もっ……今日こそ私がリードしてやるからな! 覚悟しておけ!」
「うんうん。楽しみにしてるね」

 幼い頃に憧れていたナマエは、凛とした美しい人で余裕に溢れた完璧な人だと思っていた。

 だけど俺との約束を守るために名前を呼べる距離にいてくれるようになってからは、思っていたよりもずっと可愛らしくて、拗ねたり怒ったりするとても『人間』らしい人で、深く知れば知るほど、等身大の自分のままナマエに愛されたいと思うようになっていた。

 俺は結局、百年前のことをほとんど思い出せていない。

 思い出せたのは、魂の状態であっても直接言葉を交わすことができた四人の仲間たちと、そして厄災ガノンを封印できたあの日に百年ぶりに言葉を交わしたゼルダ姫という『存在』のことだけ。
 あの人が俺に『私を覚えていますか』と聞いてきた時、姫付きの騎士として確かに決して短くない時間を彼女と一緒に過ごしたことについては、多少は思い出した。

 でも、それだけだった。
 思い出した中に、俺の『想い』は無かった。
 その当時の俺がどんなふうに感じ、何を思っていたのか。
 ナマエがかかわっている部分以外のことで新しく思いだせることは何もなかった。

 ゼルダ姫から向けられた眼差しに込められた想いには応えられない。俺はもう百年前の俺ではないと理解してもらうため、正直にほとんど覚えていないことを話した。
 俺に、百年前の俺を求めないでほしいことも。

 結果、ゼルダ姫を泣かせてしまったけれど、俺にはどうすることもできないし、する気もない。
 ナマエの過去を共有したことで思い出せた自分とナマエとのやりとりを考えると、たとえ記憶を取り戻したとしても、たとえこの先ゼルダ姫が王国を復興させたとしても、俺が『騎士』に戻ることはもうないだろう。

 俺は俺のやり方で、守りたいと思うものを守ると決めたから。

 だから、しがらみの多い立場にある人たちには関わり合いたくない。
 まあ、頼まれれば護衛を引き受けたり、依頼を受けたりすることぐらいはかまわないけど。

「おーい、リンク!」
「あ、ごめん。聞いてなかった。何、ナマエ」
「君がそんなふうに上の空なのは珍しいな。弁当の準備ができたと言ったんだが」
「ああ、ありがとう。俺のポーチに入れるね」

 腕の中に抱いていたナマエから離れ、丁寧に包まれた弁当箱を受け取ってそのままポーチの中へ入れる。
 その間にナマエは調理台の上を片付けて手を洗い、エプロンを外して束ねていた髪を束ね直していた。

「ナマエはどう? 出発できそう?」
「ああ。大丈夫だ。……手向の花はアッカレ砦跡までの道中で摘むよ。オコバのところで花束を作ってもらうことも考えたのだがな。距離があるし、道端で良さそうな花を摘んだ方が私らしいと、あいつらも言ってくれるだろう」
「……うん。そうだね」

 出掛けるためにまとめた荷物の中身を再確認しているナマエの様子をうかがえば、穏やかで、だけど静かな眼差しで遠い目になっているナマエの顔。
 あいつら、というのはナマエが隊長を務めていた部隊の部下の人たちのことだ。
 ナマエは上司として彼らに慕われていた。

 脳裏によみがえるのはある日のナマエの部下の人たちとの飲み会の夜の光景。
 ナマエに関することで思い出せたことの中には、ナマエと関係が深いからなのか、ナマエの部下の人たちとのやり取りの事も、俺自身の『思い出』として思い出すことができていた。
 もちろん、その時の俺の感情も含めて。

『破天荒な上司だよな。隊長って』
『そうそう。騎士なのに気に入らない規律はしれっと無視するしな。騎士なのに』
『お前、二回言ったな! まあ、理不尽を理不尽だと言って隊長権限で手段を選ばないところがあったよな』
『けど、あれ全部、俺らが五体満足で任務から戻れるようにっていう隊長の配慮なんだよなあ……』
『それな。おかげで俺、何回か死にそうになったところでギリギリ生き延びてる』
『あ、お前も? マジか……!』
『……あの、よろしいですか』
『ん? 何だリンク。そんな難しい顔をして。お前ももう酒を飲める歳になったんだろ? 飲め飲め! ……って、もうジョッキ開けてるのかよ!』
『はい。飲める歳になっていざ飲んでみたら体質的に酒に強かったみたいで。それより、あの……ナマエは大丈夫なんでしょうか』
『何が?』
『理不尽を理不尽と言いながら、先日は一人で魔物の巣を一晩で二つほど殲滅していたと聞きました』
『あー……あれな。おう。大丈夫だったぞ。あれ、別部隊の貴族出身のボンボン騎士が突っ走ったせいでウチの部隊の隊員が怪我する羽目になったやつだったって聞いてるか?』
『はい』
『理由がそれだからな。すごい剣幕でそいつのところに殴り込んだんだけど、話にならないと言って、そのボンボンが手柄を挙げられるようお膳立てされた魔物の巣に八つ当たりで突撃したんだよ。あの人』
『八つ当たりって……。あの、ナマエは貴族出身の騎士への殴りこ……いえ、抗議についてはお咎めなしだったんですか? ナマエは平民ですよね?』
『ああ、それな。しっかり謹慎くらってたぞ。五日間』
『え……』
『本来なら謹慎以上の処分でもおかしくなかったんだが、ナマエ隊長だからな』
『そうそう。そこはナマエ隊長だからうまくやったんだろうな。謹慎だって、本当は十日間だったところを半分にしたんだぜ。本人は仕事をさぼれるから日数自体は十日で良かったのにとぼやいていたけど、謹慎を休暇扱いするなんて隊長らしいよ』
『謹慎中も謹慎部屋にクッションやら茶器やらを持ち込んで優雅に過ごしてたな。茶菓子の差し入れを寄こせと強請られて何度か持って行った……』
『えぇ……』
『ま、そんな破天荒な隊長だけど愛情深い人には間違いない。だからこそ、幸せに笑っていてほしい。リンク、お前、隊長のことを頼むぞ。あの人に惚れてるんだろ? お前』
『はい』
『ははっ! 良い返事だな。あの人もお前のことを特別可愛がっているみたいだし、ほんと、頼むぞ。リンク』

 わしゃわしゃと俺の頭を撫でながら豪快に笑っていたあの人たち。
 今日これから俺たちは、あの人たちの『最後の地』に花を手向けに行く。
 花を手向け、そして、ナマエと夫婦になったことを報告しようと思う。

「花と一緒に酒も供えようか」
「そうだな。……ありがとう、リンク」
「どういたしまして」

 ふわりと綺麗な笑顔を浮かべるナマエのことは、俺が守る。
 この世界はきっとまた『知っているとおり』に危機に見舞われるのだろうけれど、その時にもナマエが笑っていられるように。

「墓参りが終わったら、今度はゼルダの護衛だな」
「そうだね。今回はゲルドの方に行くようだから、ナマエが一緒に来てくれると助かるよ」
「淑女の服ならまだ着れるだろう?」
「サイズの問題じゃない。わかっているくせにそんなことを言うのはこの口か」
「いひゃい、ひゃなせ」
「くくっ……変な顔」
「こら。君がやったことだろう。妻に対して言うことか。それが」
「俺の奥さんはどんな顔してても可愛いよ。こんな可愛い人が奥さんになってくれて俺は幸せ」
「そうか。幸せか」
「うん」
「君が幸せなら、私も幸せだ。良かった」

 はははっと笑うナマエの笑顔の眩しさに目を細める。
 夜の闇の中で静かに微笑む姿が印象的だった憧れの人は、明るい太陽の陽射しの下でも花が咲くような綺麗な顔で笑う、俺の大事な人になった。

 この先何があったとしても、あなたと一緒なら大丈夫。
 俺は前を向いて歩いて行ける。
 あなたと一緒に、このハイラルで生きていくために。

 あなたを愛する、ただの一人の男として。

***
2025.09.05 公開・完結