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 回生の眠りは眠りについた者を蘇生する代わりに、蘇生にかかる長い眠りが記憶を奪う。トリップ前の元の世界で得た知識で知っていたことだ。
 なのにいざ蓋を開けてみたら、リンクは原作通りに自分自身のことや百年前のことを綺麗さっぱり忘れていたのに、なぜか私のことだけは覚えていた。

 ――否、あれを『覚えていた』と言って良いのかどうか怪しいところだけれど、とにかく私が『ナマエ』だということをはっきりと認識していたのだ。
 私が彼の『恋人』もしくは『夫婦』の関係にある相手だという盛大な誤解を伴って。

「じいさん、見てよ! この人、俺の奥さんなんだ。綺麗な人でしょ!」
「誰に何を言っているんだ馬鹿者!」

 回生の祠を出る前に散々私とリンクは『恋人』や『夫婦』のような特別な関係ではないと説明をしたにもかかわらず、祠から出てすぐのところにいた老人の姿をとったハイラル王にかけた第一声がこれだった時には、いろんな意味で口から魂が抜けるかと思った。
 まあ、この時のやりとりがあったから、リンク以外の者にも私が見えていることが証明されたわけだけど。……それは置いておいて。

 とにかく、始まりの台地にはハイラル王以外の人の姿が無かったから良かったものの、パラセールを手に入れたことで始まりの台地を脱出することに成功したリンクに、カカリコ村へと向かう道すがら、会う人みんなに『この人は俺の奥さんです!』と紹介されてはたまらないと思って、早々にリンクに自分と彼との関係をあらためて説明することにした。
 ややこしいことになりそうだからと思って自分が異世界人でこの世界のことを『物語』として知っていることは伏せたまま、今の私は、百年前のことを覚えていないリンクの『保護者』のようなものであると。そう。保護者として、リンクの旅を見守るつもりであると。

「何度も言うが私は君の恋人でも妻でもないし、婚約者でもないんだ。それに、私は普通の『ニンゲン』ではない『吸血鬼』と呼ばれる存在なんだ。どうしてだか今の私は誰からも認知できる状態になっているけれど、元々私は人には認知できない存在だった。君とは流れる時間が違うし、今はなぜか昼間でも問題なく動けるが、基本的には夜にしか活動できなかったし、色恋沙汰にも興味はない」
「えー……それ、半分嘘だよね。だって、じいさ……王様が言ってた。ナマエはハイラルの騎士をやってて、確かに夜勤ばっかりだったけど、昼間だって『メンドクサイ』って言いながらも必要な時は渋々でも働いてたって。色恋沙汰に興味がないって言ってることに至っては完全に嘘だ。だってナマエ、百年前は俺のことを『男』として欲しがってくれてたもんね。俺、思い出したよ」

 モヨリ橋を渡った先、突然降り出した雨を避けるために屋根と焚き火の跡のある場所で野宿をすることになった私とリンク。降り出した雨は徐々に激しさを増していて一向に止む気配がない。無理に先を急いでも危険なだけだと判断して早々に野宿の準備を始めておいて良かった。
 ただ、ゆっくり話せる良い機会だと思って焚き火を囲みながら話を始めたものの、リンクはどうしても私との関係を『恋人』の方向に持っていきたがるから困る。

「た、……確かに、百年前は君のことを男として欲しがったこともあった。それは認める。でも今は、百年前とは状況が違う」
「そうだね。今のナマエは誰からも認知できる存在だし、昼間であっても普通に動けるし、抱きしめれば温かいしっかりとした実体のある存在だもんね」

 焚き火に薪を足しながら饒舌に話すリンク。
 噛み合っているようで噛み合っていない言葉を返してくるのはきっと意図的だ。
 炎に照らされたその横顔を見ながら、内心で何度目になるかわからない大きなため息をつく。

 回生の祠で目覚めてすぐは私のことを『ナマエ』という女だとしか覚えていなかったはずのリンクは、どうしてだかこの数日間の間に私に関することを次々と思い出していた。
 百年前に私がリンクの血を吸っていたことや、私の吸血衝動に関すること……ついでに言えば、私がリンクを『男』として見るようになっていたことや、近衛騎士の『学びの一環として女を知っておく必要がある』という事情で、私に懸想してしまっていたがために特定のお相手を作らなかったリンクの『お相手』となるために身体を重ねる約束をしていたことも。その約束が未だ果たされていないことも。
 王国が滅びた今、その約束を果たす必要はないのだけれど。

 それだけのことを思い出しているのだから、リンクは私とリンクの関係が『恋人』でも『夫婦』でもないことを本当はわかっているはずだし、百年前、私がリンクの想いに応えるつもりは無いとはっきり言ったことも思い出しているだろう。

 何で他のことは思い出さないのに私のことだけは次々に思い出すのかと頭を抱えたくなったけれど、もしかしたらこれは、回生の祠で眠りにつく前に血を失いすぎていたリンクに自分の血を与えたことで、私とリンクの間に何らかの『繋がり』のようなものができてしまったからなのかもしれないという結論に至り、早々に深く考えることを諦めた。

 でも、遠い目にはなる。
 思い出すならもっと他に大事なことがあるだろう、と。

「でもさ、不思議だよね」
「何がだ」
「ナマエは瀕死の俺に血を返した後、さらに追加で自分の血も俺に与えてしまってからは、確かに誰からも見えない状態になったんでしょ?」
「ああ。……ゼルダの前で変顔をしてみたが、全くの無反応だったし、私が立っていた場所からは焦点がずれていたな」
「で、その状態のまま、回生の祠に運ばれる俺を追いかけて祠まで行って、その場にいた誰にも見つからないまま、俺を見守るために祠の最奥に残った、と」
「その通りだ」
「そっか」

 私の話を聞いた後、思案気な顔になって沈黙したリンク。
 空色の瞳に焚き火の炎のオレンジが揺らめいている。
 僅かに伏せられた瞼を縁取る睫毛が長いなあなんてぼんやりとリンクの顔を見ていたら、しばらく黙ったままでいたリンクが顔を上げて視線を合わせてきた。

「これはあくまで俺がたてた仮説になるけど」
「ああ」
「回生の祠で目を覚ます前からナマエが実体化していたのは、回生の祠が何らかの形でナマエの存在に影響を与えたからなのかもしれないね。俺の身体を蘇生したみたいに」
「……回生の祠が?」

 思いがけないリンクからの言葉に、頭の中にクエスチョンマークが浮かぶ。
 だって一万年前のシーカー族が残したという祠は、勇者のためのものだ。
 それがどうして勇者ではない私に対して影響を及ぼすのか。
 俄かには理解しがたく、難しい顔をしていたらリンクに苦笑された。

「俺の場合は身体中に傷痕が残るぐらいの酷い傷を負って死にかけていたから、回生の祠は俺を蘇生させる方向で機能した。ナマエの場合は、誰からも認知されない『何者でもない』状態が、身体が怪我をしてるのと同じ『状態異常』だと見做されて、異常な状態を正常な状態にするために祠の力が働くことになって、その結果、しっかりとした肉体を持った存在として実体化した……とか? どうかな」
「……なるほど、ね」

 驚いた。回生の祠から目覚めて以降、奔放な行動や発言をすることばかりだったから、こんなふうに真面目に考えてひねり出されたリンクの考察に、ぽかんとしてしまう。

「リンク、君は……」
「ん? なぁに、ナマエ」
「目覚めてからの野生児ムーブが凄すぎて忘れていたが、そういえば元来の君は冷静に物事を分析できる子だったな。近衛騎士になるための筆記試験に合格しなければならないとなった時も、本来なら数年かけて勉強してやっと合格できるぐらい難しい試験のために何だかんだ地道に努力していたものな。それに、めでたく近衛騎士になった頃には、好奇心にまかせて無暗矢鱈に突っ込んでいくだけの体当たり系の脳筋思考からは卒業していたのを今更思い出した。そうだった。すっかり忘れていたよ」
「うーん。褒められているのかな、これ」
「感心しているのだから、褒めていることになるだろう。違うか?」
「違う……わない、かな。うん。褒められているってことにしておく。ナマエに褒められるのは嬉しいから」
「う、……うむ」

 美人がふわりと笑うとまるで花が咲くようだ。
 頼むからそんなとろけるような笑顔で喜ばないでくれないかな。
 美人の笑顔は目の保養になるけれど、そこに自惚れではない私に対する好意が透けて見えるから、どうしようもなくむず痒い気持ちになる。

「まあ、俺としてはナマエとずっと一緒にいられるなら何でも良いよ。回生の祠は良い仕事をしてくれたね。こうして昼夜問わず四六時中ずっとナマエと一緒に過ごせるなんて夢みたいだ。百年前には夜の間しかナマエと一緒に過ごす時間がなかったから」
「良い仕事って……」

 リンクの言葉に何度目になるかわからないため息をつく。
 ため息をつきながら、私の身に起こったことについて仮説を立てるとするならば、リンクが言っていることこそが正しいのかもしれないと思った。

 ここは私にとっての現実となったハイラル。原作と似て非なることなど星の数ほどもある。
 そもそも私という存在がここにいること自体がおかしなことだし。

 勇者ではないけれど、祠の中央に設置されたプールの中でリンクと同じく私が百年の眠りについていたことは間違いのない事実。だからもしかすると、リンクが言ったようなことが本当に起きたのかもしれない。

 その可能性を否定するには、そんなことはありえないと言いきれるだけの理由を見つけられない。

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2025.08.21 公開