05

「お・ま・え・は・ば・か・な・の・か!」
「ご、ごめんなさい……」

 夜会でゼルダ姫を襲撃した賊と、襲撃の黒幕であった貴族の男を管轄の騎士たちに引き渡した後、笑顔を貼り付けたままのナマエが俺とゼルダ姫、ナマエ以外の全員を人払いした時点で「まずい」と思った俺の感覚は正しかった。
 今、ナマエは俺の目の前でゼルダ姫の真正面に腕を組んで仁王立ちし、あろうことか姫を夜会用のドレスのまま床に正座させ、賊の襲撃直後に避難を促されたにもかかわらず、その場に残ったことについて姫に説教していた。

 姫も姫で、ナマエの言うとおりに床に正座をしている。
 ……正直、この目の前の光景が現実だとは思いたくない。
 この国の王の娘である姫を床に正座させて説教をする騎士団の一部隊長……。ありえない光景に眩暈がする。眩暈がするが、これがナマエの普段通りの振る舞いだと知ってからすでに一年以上が経ち、俺はある意味で悟りの境地に至っていた。

「護衛対象が襲撃者の黒幕本人に話をしたいからと言ってその場に残ってどうする。避難をしろと護衛に言われたら、直ぐに避難しろ。迷惑だ」
「それはその通りですが……でもっ……!」
「『でも』じゃない。百歩譲って貴族のクソどものせいで夜会を開催するしかなかったことは仕方が無い。だが、仮病を使って夜会を中座することもできたはずなのに、賊が実際に動くまでは会場にいて囮になると言い張るわ、実際に襲撃があった時にはすぐに避難すると約束したはずなのにその場に留まるわ、それだけならまだしも、黒幕の男が何かを投げつければ届くような距離まで近づいて口論するわ……一体何をやってるんだお前は」
「あの者は……私が税金徴収の不正を暴いたことを逆恨みしていたのですよね? それでも、彼には十分な資産があり、領民から過度に税を徴収しなくとも貴族として十分な暮らしができたはずです。それを話せばわかってくれると……」
「ない。それは無い。話せばわかると思っているやつも、そう口にするやつも、そう口にしなければならなくなった時点で事が終わっていることに気づいていない愚か者どもだ。しかも奴は賊を雇って一国の姫であるお前の暗殺を企てるような愚か者中の愚か者だぞ? キング・オブ・愚か者だぞ? そんな愚か者と『話せばわかる』など、夢見がちにもほどがある。お前は他者の真意を自分の都合の良いように解釈しているだけだ」
「……」

 へブラ山脈に吹き付ける吹雪よりも冷たい目をしたナマエからの言葉に、ゼルダ姫の翡翠色の瞳が揺らぎ水の膜が張ったのがわかった。ぎゅっと固く握りしめられた手が痛々しい。姫がそうして拳を固く握って言葉を飲み込む時は、胸の内の葛藤や納得できないことを何とかして我慢して消化しようとしている時だと教えてくれたのはナマエだったのに、今、そのナマエは姫に対して、言い訳など一切認めない容赦の無い物言いをしている。
 正直、ナマエが言っていることは間違っていない、が言い方というものがある。
 さすがにゼルダ姫のことが気の毒になったし、こんな言い方をしていてはナマエの方が不敬罪を問われてしまう。

「ナマエ、それ以上は……」
「『不敬』だとでも言うのか? それがどうした。そうだリンク。お前もそこに正座しろ」
「……」

 間に入ってナマエをなだめようと思ったのだが、ナマエは俺に対しても思うところがあったらしい。向けられた笑顔は絶対零度の笑みを浮かべていた。
 有無を言わせぬナマエからの笑顔の圧力に、無言のままゼルダ姫の隣に並ぶ形になって正座したら、先に正座していたゼルダ姫からぽかんとあっけにとられたような視線を向けられた。

 階級で言えばナマエは俺よりも下。主君の前で情けない姿ではあるが、これまでのナマエとの付き合いの経験上、ここは素直に言うことを聞いておくに限る。まさか主従揃って正座させられるはめになるとは思わなかったが。

「リンク、お前もお前だぞ。いくら相手が姫であれ、お前の仕事は警護対象を護ることだろう」
「はい」
「わかっていてなぜ、姫がこの場に留まることを許した。警護対象に何かあった時にその責を問われるのはお前だぞ。お前のことだから、自分が主君を守りきれば良いとでも思ったのかもしれないが、主君のわがままに付き合うのは献身ではない。それではただの盲目だ。次からは拒否されても引きずってでも連れていけ」
「……はい」

 言い訳はしない。
 ナマエが言っていることはもっともだから。

 それに、ナマエがこうして厳しいことをはっきりと言うのは、決して俺たちのことを馬鹿にしたり蔑んでいるからではなくて、むしろその逆だと知っているから。

「はぁ……ったく。あまり心配させてくれるなよ二人とも。私とて二人に危害が及ぶような状況にするつもりは無かったが、万が一ということもあるだろう。お前たちは『王国の姫』と『ハイラルいちの騎士』と呼ばれているような身分だが、まだ十代の子供なんだ。ただでさえお前たちにはお前たちにしかできない役目があるのだろう? その役目を代わってやれない私が守れるところは素直に守らせてくれ」

 それまでの冷たく刺すような雰囲気を一転させ、仁王立ちの状態から床に膝をついたナマエが、ため息をつきながら困った顔で俺とゼルダ姫をそれぞれ左右の腕で強く抱きしめてくる。その折にふわりと香ってくる百合のような甘く清楚な匂いに――これまでにも何度かナマエと近い距離になるたびに香ったことのある匂いに、自分の心臓の鼓動が速くなるのを感じて『落ち着け』と心の中で自分自身を叱咤しつつ、騎士としては華奢なナマエの腕に抱かれながら一呼吸する。
 しばらくそのまま大人しく腕に抱かれていたら、抱きしめられた時と同じように不意に温もりが離れていった。

「ナマエ……申し訳ありませんでした。私……」
「謝るならリンクに。リンクにきちんと謝るまで許さん」

 ぴしゃりとナマエに言われ、一瞬口ごもるゼルダ姫。
 俺に対して苦手意識を持っているらしい姫に、そもそも主君が従者に対して謝罪することを強要するなんて、多分この世界のどこを探してもナマエ以外にはいないだろう。

「……申し訳、ありませんでした……リンク」
「いえ、私の方こそ、姫をお連れできず申し訳ありませんでした」
「……」

 頭を下げた俺に返されたのは、気まずさを感じられる沈黙のみ。
 こうなってしまうとお互いにただひたすら沈黙が続くのが俺とゼルダ姫の間に流れるいつも通りの空気なのだけれど、この空気感に関してナマエが何か口を挟むことはない。口を挟むことはないが、そのままの空気に停滞もしない。

「じゃ、まあこれでこの話は終わりだな。賊どもの処遇については後日姫にも報告があると思うが、とりあえず今日はここまでだ。リンク、姫を部屋までお連れしてくれ。私は事後処理の手伝いに向かう」
「わかりました」

 にかっと笑うナマエはあまりにもいつも通りで、そんなナマエの様子に姫が小さく安堵の息を吐いたのがわかった。

「姫」
「はい」
「今夜は私が貴女の警護に就く。眠れないからといって夜更かしするようなら、問答無用で睡眠薬を盛るから大人しく眠るように」
「……わかりました。ナマエの眠り薬は強力ですから。盛られないように大人しく休みます」
「約束だぞ? 次に約束を破ったらインパにも王にも告げ口すると宣言していたからな。私は宣言通りにするぞ。姫がどうやって侍女の目を盗んでいるかについても全部バラすからな」
「そ、そこはどうか秘密に……!」

 ニヤリと悪い笑みを浮かべるナマエに慌てるゼルダ姫。ちょっと待て。今のやり取りを聞くと、まるでこれまでに眠り薬を盛ったことがあるみたいだ。

「ナマエ、まさかと思いますが……姫に薬を盛ったことがあるのですか?」
「ああ。あるぞ。二回程」

 しれっと何てことをしてるんだ! しかも二回って!
 思わず呆気に取られたら、姫に少し驚いたような顔を向けられた。

「まあ。リンクもそんな顔をすることがあるのですね」
「うむ。姫もリンクの表情が少しは読めるようになったか」
「……少し、ですが。はい」
「うむ。それは良かった。無口無表情で何を考えているかわからないと溢していたが、観察していればそこそこリンクも感情豊かだとわかるからな。引き続き観察してみると良いぞ」
「……はい」

 ナマエの言葉に苦笑を返しながらも素直に頷いている姫に、ナマエは一体、姫に何を勧めているんだ、と心の中で心の中で大きなため息を吐いたら、ナマエにパチンっとウィンクされた。『てへっ』という声が聞こえたのは、俺の幻聴だと思いたい。

 こんなやり取りが、俺とナマエの日常風景だ。

 ちなみにこのやり取りがあった数週間後、ゲルドの街を目指してカラカラバザールに赴いた際にまたも俺の警護を嫌がって一人で行動したゼルダ姫がイーガ団に襲われ、間一髪のところで俺が姫の御身をお救いするということがあった。

 夜会襲撃事件でナマエに怒られたこともあったし、今回は本当に命が危なかったということでようやく姫も認識を改めたのか、イーガ団の襲撃の後、誰に言われるまでもなく自ら俺に「今度こそ本当に申し訳ありませんでした」と頭を下げたゼルダ姫。

 俺に対して謝った後、顔を若干青くした姫から「このことについてはどうかナマエには内密にしてください……!」と懇願されたが、なぜかナマエには事の詳細までしっかり把握されていたため、ゲルドからハイラル中央に戻った後に笑顔のまま怒り心頭になっていたナマエにこってり絞られていた。

 まあ、ナマエは隠密と諜報に特化した部隊の部隊長だから、ナマエがカラカラバザールにおけるイーガ団襲撃事件のことを把握しているのは当然と言えば当然だったわけだけれど。

「お前はいい加減に公人としての自覚を持て。個人の感情でリンクを嫌うだけなら、それは仕方がないこともあるだろう。だが、護衛もつけずに一人で砂漠に出るなど言語道断だ。リンクが黙っているからといっていつまでもガキみたいに甘えるな。お前の軽率な振る舞いで、姫付きの騎士に任命されているリンクの首が物理的に飛ぶこともあるんだぞ。そんなことになったら、私が厄災ガノンに代わってこの国を滅ぼしてやるからな」

 笑顔なのに笑っていない凍りつくような目でゼルダ姫に言い放ったナマエ。
 ……喜ぶべきではないとは思うけれど、俺はナマエのその言葉が嬉しかった。

 カラカラバザールでの一件があった後から、姫の俺に対する態度は明らかに軟化したと感じてはいたけれど、姫が本当の意味で俺に向き合おうとしてくれ始めたと感じられたのは、ナマエのその言葉があったからかもしれない。

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2025.07.31 公開