イヴァリースでは魔力を練って思う通りの魔法を発動させるために『呪文』を詠唱する。それは魔法陣で言うところの陣に刻まれた構築文を音に乗せることによって、自分の中の魔力を外に向かって放出し、魔法を発動させるためのプロセスだ。
だけど私には自分が作り出した魔法を発動させるための『呪文』を作り出すセンスがない。
「……だから魔法陣を視覚化して呪文の詠唱に代えるというのも、なかなか考えにくいことなんだけどね。ナマエならやりかねないと思ったけど、本当にできてしまうとは」
「兄さん……ナマエさんって一体、何者なの? 五十年戦争の英雄エリディブスに並ぶ稀代の魔道士?」
「あー……えっと……アルマ、その名前はナマエにとって禁句だから……」
「え?」
禁句? 何で? と、苦笑いをするラムザくんに向かって可愛く首を傾げるアルマちゃん。
そんなアルマちゃんに詳しい説明をしてあげられるほどの余裕は無かった。
「『また』があれば、いつか『またな』」
そう最後に言ってニヒルな笑みを浮かべたクラウドは緑色の光の渦に飲まれて消えていった。
見送りはラムザくんとアルマちゃん、そしてリンクくんと私の四人だけ。他のみんなとの別れは事前に済ませた。何故なら、ラムザくんたち一行を『異端者』として教会が本格的に追い始めていることがわかっていたから。
実は私たちがディープダンジョンから地上に戻るのがあと一日遅ければ、教会からの追手を逃れるため、ラムザくんの仲間たちは先に東国に向かってイヴァリースを発つことになっていたらしい。
だから、元の世界に戻るクラウドとリンクくん、魔法を発動させる術師である私、そして旧知の友人に顔を見せに行ってからイヴァリースを出ると言っていたラムザくんとアルマちゃんだけがここに残った。
クラウドが消えていった緑色の光の渦が消える間際、きっと私にだけ見えていた光景がある。
それは、クラウドの幼馴染である黒髪の彼女が必死でクラウドに向かって手を伸ばしているところ。そしてその手に向かってクラウドもまた自分の手を伸ばし、がっしりと二人の手が繋がれた光景。
その光景を見たから確信できた。
ああ、クラウドは確かに『帰りたい』と強く願い、その願いの通りに帰ることができたのだと。
(バイバイ、クラウド。もしかしたら君はまた何処かの次元でラムザくんに会うことがあるかもしれないけれど、とりあえず今はさよなら、だね。どうか君が君の大切な仲間たちと共に、君の世界の『星』をメテオから守れますように)
ここまでは良かった。
問題は、光の渦がぷつんっと糸が切れるように消失した後だった。
「うっ……」
「ナマエ⁈」
まるで全身を頭上から象にでも踏み潰されたんじゃ無いかと思うような重圧が一気に襲ってきて、その重さに耐えられずその場に崩れ落ちてしまった。
かろうじて地面にぺしゃんことはならないように両手両膝をつけたけど、ヤバい。全身を襲う圧がヤバい。
いや、これが実は外側からの圧のよるものではなくて、身体に巡らせていた大量の魔力が一気に消失したことによる反動――いわゆる『魔力酔い』だってことは頭では理解してるんだけどね。
「ごっ……ごっそり持っていかれた……」
四つん這いになって真下を向いた私の鼻先からポタポタと何滴も汗が垂れて地面に染みを作っていく。乾いていた土の色が変わるのを微妙に焦点の合わない視界で見ながら、ぜぇぜぇと大きく肩で息をしていたら、ざっと地面を踏む音がしてすぐ近くにしゃがみ込む人がいた。
リンクくんだ。
彼は今、この世界に最初に現れた時と同じ格好、同じ装備をしている。魔力供給のためのペンダントこそ首からかけたままではあるけれど、彼の長い耳を丸い耳に見せかけていた幻影魔法を発動させる依代になっていた耳飾りは外しており、ハイリア人特有の尖った耳が、彼の長いもみあげの合間からみえていた。
丸い耳のリンクくんも格好良かったけど、やっぱりハイリア人のリンクくんにはその長い耳の方がしっくりくるね、なんて。
笑顔で伝えたら照れくさそうにしてたよね。
「ナマエ、顔が真っ青です。少し休みましょう」
「ううん。大丈夫。クラウドを無事に送ってあげられたから、このまま、続ける」
「しかし……っ」
「このままっ……続けなきゃいけないの……っ! 今、このタイミングで、この状態のまま突っ切って私の魔力が枯渇しきるところまで一気に使い切って、それでやっと私……」
イヴァリースという世界に縛られた状態から解放される。
それに、異世界転送という次元を捻じ曲げるトンデモ魔法に、時を操るなんてアレンジを加えた『トンデモ魔法・改』とでも呼べるような魔法を成功させるために必要な、それぞれが異なる性質を持つ十三個の聖石全てが手元にあるという絶好の条件が整っていて、『特定の世界の特定の時間にドンピシャで転送する』という、私が望む形でリンクくんを帰せるのは、今だけ。今を逃してしまったら、次はもう無いかもしれない。
……そう、サーペンタリウスが言っている。
それが嘘か本当かわからないけれど、たぶん、本当なんだと思う。
だって『彼女』も、ただの『石ころ』になることを本気で望んでいるから。十三個目の幻のゾディアックストーンとして存在しているこのイヴァリースから、ただの石ころになれるハイラルへ行くことを望んでいるから。
「だからと言って、立て続けにあんな数の魔法陣を一度に操るなんて、魔法のことがわからない俺にだって無茶なことだってわかります! 以前にも言ったでしょう? 貴女にはそんな無茶をしてまで俺を帰そうとしてほしくないと。魔力の枯渇は生命にも関わると聞いています。クラウドを元の世界に帰すことができたんです。だから貴女の安全のために魔力の回復を待って後日にでも……」
「それだと間に合わないんだよ、リンクくん」
「え……」
「幸か不幸か私の魔力量って十分すぎるほどに成熟しちゃっててね。先のエリディブスとの戦いの中でもさらに魔力量の上限値が増えちゃったの。だから、私の中にある魔力を一気に根こそぎ全部空っぽにするには、今しかないの。これが……私が、私の望む形でリンクくんをハイラルに帰せる唯一のタイミングなの。だから今、やらせて。お願い」
「唯一のって……」
「それとね」
焦った顔で私のことを本気で心配してくれているリンクくんに、こんなタイミングでこんなことを言うのは申し訳ないなぁなんて思うんだけど。
「『レオ』の聖石にハイラルに戻りたいと願う時、私のことも一緒に連れて行きたいって願ってくれないかな」
「えっ……」
「私、ハイラルに行きたい。君の生きるハイラルを、この目で見てみたいの。でも、私が作り出したこの魔法は、術者本人の意思には反応しないような仕様にしちゃったから、君にお願いするしかない。私の魔力が空っぽになったら、元々異世界人の私の身体はイヴァリースという世界の理から……『解放』される。その時が、ハイラルに行ける唯一のチャンスなの。……そう、サーペンタリウスが教えてくれた」
「……それは……本当ですか……?」
「さぁ? サーペンタリウスが嘘を言っていなければ本当なんじゃないかな。いずれにしろ、この魔法陣を操作する術者が私である以上、レオは私の意思には反応してくれない。だからお願い、リンクくん。私を君の世界に……ハイラルに連れて行きたいって願って」
断られて……しまうかな。
こんな突拍子もないお願い。
無言のまま視線を伏せたリンクくんがあともう少しだけ黙ったままだったら、なーんちゃってって冗談にしてしまおう。
じゃないと、拒絶された時に自分が辛いから……なんて勝手なことを思っていたその時だった。
ぐいっと顎を持ち上げられて、唇に柔らかいものが押し当てられたのは。
目の前には整いすぎた綺麗な顔。
鼻先同士が交差して、まつ毛が触れるほどに近い。
え……?
突然のことに、思考が真っ白になる。
きゃっと声を上げたのは、アルマちゃん……?
思考が停止した状態でなすがままになっていたら、はむっと唇を喰まれ、ちゅぅっと音を立てて吸われた後に柔らかなものが離れていった。
うそ、……今、私……リンクくんにキスされた?
突然すぎる事態に自分の顔が間抜けな顔になってるのがわかっても動けない。代わりに顔だけが熱い。きっと耳の先まで真っ赤だ。
そんな私を置き去りに、リンクくんはとても――そう、とても満足そうな顔をしていた。
「わかりました。貴女を、ハイラルに必ず連れて行きます」
「へっ……」
「貴女がそれを望むなら、願ったり叶ったりですよ。もともと俺は、貴女をハイラルに連れていくつもりでしたから」
ニヤリと笑うリンクくんの無邪気で悪い、色気たっぷりの笑顔にパァンっと頭の中が爆発した。
「え、あ、あのっ……ほ、本当に? 本気で?」
「本当の本気です。むしろ、貴女が嫌がるなら昏倒させてでも連れて行こうと思っていました」
「それ、誘拐っ……!」
「ちなみにラムザが共犯者になる予定でした」
「えぇぇ……?」
あまりにもな事実に、思わずラムザくんの方を見たら、いつもの穏やかな笑顔なはずなのに、妙に圧のある良い笑顔で親指をぐっと立てられた。
「ナマエに『繰り返しの人生』の話をされる前から、きみには何か抱えているものがあると思っていたんだ。そんなきみがリンクと出会ったことで変わった。……きみはきっとイヴァリースにいるよりも、リンクと共にいた方が幸せになれる。僕は……きみに幸せになってほしい。笑っていてほしいんだ。だから、リンクにその気があるのなら、きみを『ハイラル』に連れて行ってほしいと頼んだんだよ。まあ、僕の勝手な願いだけどね」
「そんな話いつの間に……!」
「うーん。きみをドーターに連れて行った時にはもう話がついていたかな」
「そんな前から⁈」
二人がたびたび一緒に出かけたりして、時には朝まで帰ってこなかったりするなんてこともあって、まあ同年代の男の子同士だから仲が良いことは大歓迎! もしかしたらリンクくんがハイラルに戻った後もラムザくんの仲間たちとの関係が、英傑のみんなや騎士の同僚の人たちとの関係にも良い影響があるんじゃないかなーなんて、のほほーんと思っていたのだけれど……。
まさかそんな話をしていたなんて……!
驚きすぎて言葉が出ない。
だから四つん這いのまま顔だけ上げた状態で口をぱくぱくさせていたら、目の前に手が差し出された。
その手の主は、リンクくん。
剣を握る、まめのある硬くなった戦う人の手。
その手に触れられる喜びを知ってしまった私には、この手を取らない理由がない。
「私を、ハイラルに連れて行ってくれる?」
「はい。この剣に誓って」
にこっと笑ってしっかりと握ってくれた手から伝わる確かな温もりと想い。それを確かめて、少しだけ力が入るようになった身体に気合を入れて立ち上がる。
そして、ラムザくんに向き直った。
――お別れを言うために。
「ラムザくん」
「うん」
「今までありがとう」
「はは。それはどちらかと言うと僕からの言葉な気がするけどね。どういたしまして、ナマエ。僕の方こそ、今までありがとう」
「うん。どういたしまして。……どうか、これからのラムザくんたちの未来にもたくさんの素敵な出会いと幸せがありますように。……心からの祝福を」
「ありがとう、ナマエ。どうかきみも幸せに。まあ、リンクに泣かされて愛想をつかすようなことがあったら、いつでもイヴァリースに戻っておいで。僕が慰めてあげるから」
「その必要はない。ナマエは俺が幸せにする」
「できるかい? 君に」
「ナマエに誓おう」
「……それならきみを信用するしかないね」
はははっと男二人で通じ合っちゃって、微笑ましいなぁなんて眺めていたら、リンクくんに腰をぐいっと引き寄せられて耳元に口を寄せられた。
「なんで他人事のような顔をして聞いてるんですか。貴女は当事者ですよ」
「ふぇいっ」
だからその低音甘々ボイスやめてよ……っ!
出会った頃には結構ガチガチの騎士ですって振る舞いだったのに、いつの間にこんな魔性の男に。
オトコノコって怖い。
ジト目になっていたら、ぶはっと吹き出された。
こんなリンクくんを見たゼルダ姫やインパ、英傑のみんなはどんな反応をするのだろうか。救国の勇者を拐かしたとかって投獄なんて事態にならないよね……?
王国が王国として機能しているハイラル王国がどうなっているのか想像がつかないけれど、いざとなったら助けてくれる……よね?
今さらだけど少し怖くなってリンクくんの目をじっと上目遣いで見つめたら、余裕げな顔をしていたリンクくんの顔が何故かほんのり赤くなってしまった。
……何で。
「とにかく。ナマエのことは心配ない。だからラムザ、あなたはあなたの道を。俺はあなたの友として、あなたのこの先の未来の健闘を祈っている」
「ああ。ありがとう、リンク。僕も、きみがきみの使命を無事に果たせることを信じ、友としてきみのこれからの未来の幸せを願っているよ」
「ありがとう」
「うっうっ……二人どもぉ……良い友人になれでよがっだねぇぇ……‼︎」
「「……ナマエ、顔っ!」」
「ナマエさん……って、涙脆い?」
男同士の友情ってやつだねっ‼︎
なんて感涙して顔面崩壊していたら二人から同時に息ぴったりで突っ込まれると共に、アルマちゃんから苦笑をもらってしまった。
でも、いつまでもここに止まってはいられない。
「……それじゃあ、そろそろ……行くね」
「……うん」
クラウドを送った時と同じように使い慣れた杖を振り上げ、次々と宙に魔法陣を描いていく。転送機に刻まれていた魔法紋を参考に組み直した転送魔法。それが正しく発動するように、一つ一つ丁寧に魔力を込めて。
「リンクくん、強く願って。君が帰るべき世界を。時間を。場所を。そこで君が果たすべきことを」
「はい!」
ぎゅっと私の腰を抱いたままのリンクくんの腕に力が籠る。その力強さと温もりを感じながら、私は自分が持てる魔力のありったけを込めて、最後の魔法陣を発動させた。
***
「……行ってしまったね」
「ああ」
「兄さん、本当に良かったの?」
「……何が?」
「……ううん。何でもない」
兄さんが決めたことなら、きっと――――うん。
***
2025.06.28 公開