22

 カカリコ村に置いてきたナマエが目を覚まし、迷いの森に向かうためカカリコ村を発った、と。
 そう書いてある手紙がインパの鷹によって届けられたのは、オルディン地方の北側にあるド根性ガケの頂上の祠を踏破し、崖下に広がる温泉で汗を流している時だった。数日程度で目を覚ますだろうとのインパの見立てに反してナマエは一週間の間眠り続けていたらしい。それなのに、目覚めてすぐにまるで怪我など無かったかのように動き出し、俺が指定した第一の待ち合わせ場所である迷いの森に向けて目覚めたその日のうちにカカリコ村を旅立ったそうだ。日付からしてそれが昨日のこと。ルーダニアでダルケルと話をした時には、怪我の状態からナマエが数日で目を覚ますだろうと思っていたから、ルーダニアを解放した時点ですでに森の馬宿に到着しているかもしれないなんて言ったけど、さすがにそれは無かったか。ほっとしたような、心配なような、複雑な気分だ。
 俺に置いていかれたことについて怒り狂うんじゃないかと思っていた俺の予想は外れ、目を覚ましたナマエは俺がナマエを置いていったことについて特に怒ったりすることはなかったらしい。……怒ると思ってたってナマエにバレたら、そう思っていたってことについて怒られそう。いや、拗ねるか。ナマエなら。
 インパからの手紙には、ナマエがただひたすら俺のことを心配し、どうして自分がカカリコ村に置いていかれたのかを冷静に理解し、そして、どうして俺が『迷いの森』の最奥を待ち合わせ場所として指定したのか、その真意すら理解しているようだったと書かれていた。
 それはつまり、ナマエ自身も、自分に起きている変化に気が付いていて、それを俺が気にしているということを理解しているということなのだろう。インパに吐露した俺の心の内を、インパから聞いたという可能性もある。口止めしなかったし。インパなら話している可能性が高い。うん。多分、話していると思う。そしてその話から、ナマエは色々と察したのだろう。……俺の奥さんは、まったく本当に聡明で頼もしい。その頼もしさが……今は心配なんだけどね。

「はぁぁ……どうしよう。ナマエが迷いの森の最奥まで行くことが出来てしまったら」

 ばしゃんっと両手にすくったお湯を顔にかけて、そのままずるずると岩肌を下がって肩の上までお湯に浸かり、温泉に入るために脱いだ服や荷物をまとめている場所に目をやる。
 そこに置いてあるのは、マスターソード。
 俺が迷いの森の最奥で手にした『退魔の剣』と呼ばれる片手剣。手に入れようとする者を試し、その資格を持たない者には容赦なく牙をむく剣。実は、ルーダニアを解放してすぐに迷いの森に向かい、森の最奥で眠りについていたその剣を俺は手にしていた。万が一、ナマエが俺よりも先に迷いの森の最奥まで辿り着いてしまった時に、ナマエがマスターソードを抜こうとしてしまうようなことが無いように、先に手にしておこうと思ったんだ。
 百年前と同じようにコログ達に森の奥へと導かれ、デクの樹サマの面前で大地に突き刺さったマスターソードに手をかけ、マスターソードに生命力をごっそりと持っていかれるような感覚を身体に感じながらも、剣を台座から完全に引き抜くまで耐え切った。空に向かって真っ直ぐ掲げたマスターソードは、思い出した百年前の記憶通り百年ぶりに手にしたものなのに、驚くほどしっくりと手に馴染んだ。ずっと『待っていました』と剣に言われたような気がした。実際のところ俺にはこの剣の声は聞こえないけれど。
 マスターソードを手に入れた後、俺は迷いの森でナマエを待つことをしなかった。臆病だとは思うけれど、迷いの森の最奥でナマエと再会することが怖かったから。どんな結果になろうとも俺がナマエを護ればいいと強気でいたいけれど、百年前のことを思い出せば思い出すほど、そうやって自分が護ると決めたものを護れなかったという事実を突きつけられて落ち込むし、ナマエを『また』失ったらと思うと怖い。そんな気持ちを振り払うように、気分転換にもなると思ってオルディンにある祠の探索をしていた。おかげで多分、オルディンにある祠は全部見つけられたんじゃないかな。

「はぁ……怖がってばかりだな、俺。自分自身のことなら何とでもなるって思えるけど、ここのところの俺はぐらついてばかりだ」

 ナマエに一緒にいて欲しい。手放したくない。一時だって離れたくない。
 だけど、ナマエにはどこか安全なところで笑っていてほしい。危ない目にあわせたくない。今度こそ、君を失わずに君と生きていきたい。いつか自然な形で穏やかな死が訪れるまで。そんな風に思ってぐだぐだしていたら、ナマエの様子を見るためにカカリコ村にワープするのも躊躇するようになってしまった。

「……で、わたくしを置いて行ったばかりか、カカリコ村にも戻って来てくださらなかったのですね」
「……ナマエ」

 温泉から出た後、意を決してシーカーストーンのワープで迷いの森の最奥にある祠へと移動し、恐る恐るマスターソードが安置されていた台座のところまで行ってみたところ、ナマエの姿は無かった。それにほっとしつつも、カカリコ村から迷いの森までの距離を考えると、物理的にまだここに来れるまでには時間がかかるだろうとも思ったから、とりあえず二日ほどこの場所でナマエのことを待ってみようかと思って、さぁ何をして時間をつぶそうかと思案している時だった。いつも通り穏やかで静かなナマエの声で、名前を呼ばれたのは。嘘だろ。シーカーストーンのワープを使えないのに、カカリコ村を出発してからここに到着するまでの時間が早すぎないか!?

「リンク様。お久しぶりです」
「……ナマエ」
「せっかく久しぶりにお顔を見ることができたのに、そんなに酷い顔をなさらないでください」
「ナマエなら、俺がどうしてこんな顔になってるのか何となくわかってるよね」
「ええ、まぁ。憶測の域を出ませんけれども。それにしても貴方の愛する妻がこうして愛する夫に会いに来たというのに。そんな顔をされてしまってはさすがのわたくしでも傷つきますよ」
「っ……ごめん」
「謝るぐらいなら、抱きしめてください」
「……」
「早く」
「……うん」

 頬をぷくっと膨らませて拗ねながらも両手を広げて俺のことをじっと見つめてくるナマエ。時々こうやって甘えてくるナマエがやっぱり可愛い。好きだ。愛してる。愛しくてたまらない。わかってたんだ。こうしてナマエの顔を見たら、やっぱりナマエがこうして目の前にいてくれることが嬉しくて仕方がなくなるって。ずっと側にいてほしいって気持ちに嘘をつけなくなるって。だけどナマエがこうして迷いの森の奥まで辿りつけたということは、ナマエが俺やゼルダ姫と同じように女神ハイリアに『選ばれた存在』だということを証明しているわけで、俺は、ナマエがそうなることなんて望んでいなかったのに。
 ぎゅっとナマエの身体を強く抱き寄せていつもそうしているように首元に顔を埋めれば、香ってくる甘い匂い。冷え固まった俺の心の芯を溶かしてくれるような、陽だまりのようなナマエの匂いと温もりに泣きそうになってしまう。

「何で来れちゃったかな」
「あら、リンク様がこの場所を待ち合わせ場所に指定されたのではないですか」
「そうなんだけどさぁ……。ここまで、迷子にならずに来れたの?」
「はい。コログ達が導いてくれました。森の奥で勇者様が待っている、と」
「俺は……ナマエと再会するのが森の馬宿だったら良かったのにって思ってるよ」
「そうでしょうね。どうやらリンク様は、わたくしがリンク様のように強く、常人には見えないものを見れるようになったり声を聞けるようになることを喜ばれている一方、わたくしがリンク様のように『厄災ガノンと戦わざるを得ない』宿命を課せられるようになっているのではないかということを恐れていらっしゃるようなので」
「……インパから聞いたんだね」
「はい。それはもう、しっかり、ばっちりと」
「ばっちりって……」

 あまりにも何でもないように、むしろ面白がっている気配すら感じるナマエの言い方にぎょっとして、首元から顔を離してナマエの顔を見てみれば、何時ものようににこにこと穏やかな笑みを浮かべているはずなのに、どこか迫力のある笑顔になっているナマエと目があって、たらり、と背中に冷や汗が流れた気がした。

「え、えぇっと……ナマエ?」
「はい。何でしょうか」
「怒って……ます、か」

 思わず敬語になる。
 そんな俺にさらにナマエの笑みが深くなる。

「ええ。怒っています。わたくしがリンク様のようになっていくことを、わたくしが『勇者』の代用品として扱われるようになっているのではないかと想像して、妻であるわたくしにその考えや不安を相談することもなく、一人で色々怖がってわたくしを遠ざけようとしていらっしゃるリンク様の腹に一発、膝蹴りを入れてやりたい気分ですね」
「ひぇっ」
「……やりませんけど」

 一瞬でふくれあがったナマエからの怒気に本気でヤられると思ってほとんど無意識に急所をかばう体勢をとったら、ナマエに呆れられた。ほ、本当かな? ナマエって昔っから有言実行だから、本気で一発入れられるかと思った。

「リンク様」
「な、何?」
「それ、貸してください」
「それ? ……って、マスターソードのこと?」
「はい。そうです」
「……どうして」
「試してみたいんです。わたくしがその剣を扱えるのかどうか」
「……」
「リンク様。わたくしがその剣を扱えないのなら、リンク様の心配は杞憂ということになります。そしてもしもわたくしがその剣を扱えるのなら」
「……扱えるのなら?」
「リンク様の背負う宿命を一緒に背負えるなんて、わたくしにとっては幸せなことでしかありません」
「っ……」
「ま、扱えないとしても、わたくしはリンク様と運命共同体のつもりでおりますけれどね。まったくもう。リンク様はお忘れのようですけれど、わたくし、リンク様と『添い遂げたい』人なんですよ? 大体、百年前の記憶を持った状態でリンク様と百年ぶりに再会できた時点で、とっくに普通ではありません。鍛錬すればするほど強くなれることだって、類まれなる身体能力をお持ちと姫様に言わしめたリンク様と並んで戦えるということですから、喜びしかありません。リンク様と同じ景色を見ることが出来ること、リンク様のお力になれること、それがどれだけわたくしにとって幸せなことか」

 がしっと俺の両頬を両手のてのひらで挟んでじっと俺の目をのぞきこんでくるナマエ。その瞳に映っている俺の顔は胸中の心情そのままに情けない顔をしていて、そんな俺に向けられるナマエの瞳はどこまでも優しい。その優しさに、俺の中に芽生えていた不安とか怖さとか過去を悔やむ気持ちとか、そういった暗い感情が少しずつ溶かされていくのがわかる。

「リンク」

 普段は頑なに俺のことを様付けすることを止めないのに、こんな時だけ呼び捨てにするなんてずるいよ、ナマエ。

「わたくしは貴方を心から愛しています。どうかあなたの背負っているものをわたくしにも背負わせてください。そして……」
「そして?」
「重すぎる荷物は背負い投げしてさっさと処分してしまいましょう!」
「……え?」

 今、何て言った?

「大体、この世界がリンク様とゼルダ様のお二人に求めるものが大きすぎるんですよ。いくら『姫巫女』と『退魔の騎士』とはいえ、お二人ともただの人なんですから。そんな、お二人にだけ逃げられないような宿命を課すような世界なら、いっそ滅びてしまえば良いんです」
「ナマエ、それは……!」
「ちなみに百年前からそう思っていました!」
「えぇー……」

 何時も穏やかで優しい顔をしてゼルダ姫のお付きの侍女としての勤めを果たしていたのに、そんなことを思っていたのかナマエは。「不敬と言われて首が飛びそうですけどね」なんて笑っているけれど、俺が思い出した百年前の王国が記憶通りの王国であったのなら、冗談ではなく本当に首が飛ぶような考えだったよ? ナマエがその考えを黙っていてくれて良かった。はぁ……と大きく息を吐いたら、ふふっとナマエが可笑しそうに笑った。笑いごとじゃないって。

「もっとも、そんな考えを持ちつつも、今はリンク様と共にしわくちゃのおじいちゃんおばあちゃんになるまで穏やかに生きていきたいと思っておりますので、ついでにこのハイラルを助けるためのお手伝いをしてあげても良いかと思っています」
「ついでにって……随分と強気な言い方だね」
「そのぐらいの気概で臨みませんと。ですから、今わたくしの身体に起こっている変化は、願ったり叶ったりです。いくら戦えるとはいえ、リンク様ほど戦えていたわけではありませんでしたから。それが今では貴方の隣になって同じように戦える。わたくしはそれが嬉しい」
「でも、ここのところの君の戦い方は無茶が多いから俺は心配だよ」
「リンク様がそれをおっしゃいますか。ライネル数体を含む魔物の群れに単身突撃していって、ゼルダ姫様から無茶をしないようにと諫められていた貴方が」
「ゔっ……」
「その時のことを思い出されているのですね」
「……思い出したのはつい最近だけどね」

 そこで負った怪我をルッタの上でミファーに治してもらったのだと、ばらばらの点のように思い出していた百年前のことが、少しずつ線でつながってきているぐらいには過去のことを思い出せている。

「まあそれはそれとして、です。さあ、リンク様。マスターソードを貸してください」
「……本当に試すの?」
「往生際が悪いですよ。さっさとよこしてください」
「ナマエの圧が凄い」
「そんなの今さらではありませんか」
「……まったく。本当に俺の奥さんは強いね」
「そうですよ。貴方の妻は強いんです。でも、不安に思うことだってあります。だからリンク様」
「ん」
「お互いに不安に思っていること、正直に話していきましょう。わたくしたち、夫婦なんですから。隠し事はあっても構いませんけど、不安なことはお話しして、助け合って解決していきましょう」
「隠し事、あってもいいんだ」
「構わないと思いますよ。へそくりの金額とか。わたくし、リンク様には絶対に秘密にしておきます。墓場まで持って行きますからね。あ、でも墓場に持っていくまでへそくりを残しておくのももったいないですね」
「へそくりの金額……墓場まで……もったいないって……。……ははっ、ははは!」

 これまでの真剣な空気は一体どこへ行ってしまったのか。急にナマエが真面目な顔で変なことを言い出すから思わず笑ってしまった。そしてひとしきり笑った後、背中に背負っていたマスターソードを鞘ごと降ろし、ナマエの目の前に差し出した。
 そんな俺に、ナマエがいつも通りの穏やかな笑顔でにっこりと微笑む。

「ありがとうございます、リンク様。こうして間近でしっかりと見てみると、大きいですね」
「そうだね。でも、見た目ほど重さを感じないんだ」
「リンク様の筋力が素晴らしいからでは?」
「さあ、どうだろう。実際のところ、手に伝わってくる重さとしては近衛の剣や王家の剣の方が余程重かったよ。百年前の記憶だから正確ではないかもしれないけれど」
「そうですか。では、最低限そのぐらいの重さがあると思った方がよろしいですね。では、拝借いたします」
「うん。気を付けて」

 俺の手で支えているマスターソードにナマエが手を伸ばし、剣の柄をしっかりと掴む。鞘の中に収められたままのマスターソードは、退魔の剣に選ばれた俺にしか抜けない。そのことをナマエも知っているはず。

「では、参ります」

 ぎゅっと掴んだ剣の柄をナマエが右側に向けて動かそうとし……。
 ピクリともしなかった。

「抜けませんね」
「……そうみたいだね」
「ちっ……」
「(舌打ちした!)……」

 結論、ナマエはマスターソードを鞘から引き抜くことが出来なかった。
 ナマエはわかりやすく舌打ちをして残念そうな顔をしたけれど、俺としてはものすごくほっとした。ほっとして力が抜けた。そして、あらためて思った。

「厄災ガノンは俺が倒すよ」
「……はい。わたくしはリンク様が戦いやすいよう、援護に徹します」
「うん。ありがとう、ナマエ。これからもよろしく」
「はい! 退魔の剣を抜くことは出来なかったのは残念でしたが、これでリンク様の心配事が杞憂だとわかりましたね。剣を抜くことができない以上、やはりわたくしはリンク様の代わりにはなりません。代わりにはなれませんが、強く! 逞しく! なっていることは事実ですので、これからも誠心誠意、リンク様に尽くす方向でリンク様の事をお支えしたいと思います! ということで、リンク様の旅には同行しますから。お覚悟くださいね」
「それって、覚悟が必要なことなのか」
「さあ? 決め台詞なので言ってみたかっただけです」

 こてんっと首をかしげてとぼけるナマエに、笑いと愛しさがこみあげてくる。

「……君って、本当に……」
「? 何でしょうか?」
「本当に可愛いね。俺の奥さんは」
「そうですよ。貴方の奥さんは可愛いんです。可愛くて強いんですから、側に置いておかないと他の男に盗られちゃいますよ?」
「ッ! それは駄目!」
「だったらちゃーんとわたくしをお側においておいてください。あ、でも不可抗力ということもありますから、ちょっとわたくし、プルア様にお願いして『ばっくあっぷぷらん』というものを考えておこうと思います。ですから、ハテノ村に一度戻ってもよろしいでしょうか?」
「構わないよ。すぐに飛ぶ?」
「はい。すぐにでも。ちょうど暗くなってきましたし、今日は久しぶりにハテノ村の家でお休みしましょう。わたくし、作りたてのリンク様のお料理が食べたいです」
「はは。ナマエって俺と同じくらい食べることが好きだよね」
「はい。リンク様の作るお料理はどれも絶品ですから。それと……」
「それと?」
「リンク様のことも食べちゃっていいですか?」

 突然のナマエからの『お誘い』に、その言葉を理解した瞬間、顔がかぁっと沸騰したように熱くなるのがわかった。

「え……」
「だめ、……ですか?」
「え、あ……えっと、い、いいよ! もちろんいいよ!」
「やった! それじゃあ、一緒にお風呂にも入りましょうね!」
「う、うん(いいの? そんなに積極的でいいの?)」
「ふふっ。楽しみです。いっぱい気持ちよくなりましょうね。リンク様」

 止めにパチンっとはにかみながらウィンクされて、鼻血が出るかと思った。

 
 

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2024.12.24 公開