07

 水浴びをすると言っていなくなったナマエさんは結局次の日の朝になっても戻ってこなかった。「一足先にハイラル城で露払いしてきます」と短く書かれた書き置きだけをゼルダ姫のもとに残して、ナマエさんは単身、ハイラル城に行ってしまった。その書き置きだって、コーガが預かってるものがあると言ってゼルダ姫に渡してきたものだった。ナマエさんはコーガには声をかけていったのか。
 俺が……昨夜、あんなことを言ってしまったからだろうか。露払いも本当なんだろうけど、きっとナマエさんはスッパの手がかりを探しに行ったんだ。頭を抱えていたら「まぁまぁリンク。ハイラル城にはこれから向かうのです。ナマエを見つけたら、一人で乗り込むなんて無茶をしたナマエを一緒に叱ってやりましょう。ナマエはもう、私たちの大事な仲間なのですから」と、苦笑したゼルダ姫に慰められてしまった。全く、主君にそんな気を遣わせるなんて。しかも決戦前に。情けなさすぎる。

「コーガ、ナマエさんは……」
「俺も会ってねーよ。気づいたら俺様の寝所に書き置きがあった。……ったく。ナマエの奴、やたら気配を消すのばっかり上手くなりやがって」
「……コーガにも声をかけずに行ったのか……」
「ナマエは正式な構成員じゃねーからな。俺に断りを入れる必要は無いってことよ。……ったく……ナマエに惚れてんならしっかり捕まえとけよって言っただろーが。お前がモタモタしてっから……いや。俺様がいうことじゃねーな……」

 がしがしと頭をかいてはぁっと大きくため息をつくコーガ。仮面の奥で困った顔をしているのだろうことが伝わってくる。

「まぁ何にせよハイラル城へ向かうんだ。城でナマエに合流したら今度こそナマエを捕まえておいてくれよ」
「……俺が捕まえてもいいのか?」
「お前ならナマエを死なせねーだろ。敵としちゃぁ厄介だが、これでもお前にゃ一目置いてんだ。アイツは俺様の右腕が惚れ込んだ女なんだ。死なせたくねー。スッパも俺様も、お前にならナマエを預けても良いって思ってたんだ。しっかり応えてくれよ。勇者」
「っ……ああ」

 バシバシと俺の背中を強く叩いて去っていくコーガ。まさかイーガ団の総長に激励されるとは思わなかった。それに……『スッパも俺様も、お前にならナマエを預けても良いって思ってたんだ』って、どういうことだ? そんな話を以前からしてたってことなのか?
 俺は……俺は、ナマエさんやコーガ、それにスッパと比べたら若輩者で経験も浅くて人の感情の機微には疎いって自覚がある。だから、何でコーガとスッパがナマエさんを俺に預けるなんて話になったのかわからない。でも、コーガたちに言われたからじゃなくって、俺が、俺自身がナマエさんに俺と一緒に生きて欲しいって思ったんだ。
 俺が、ナマエさんが生きたいと思う理由になればいい。ぎゅっと拳を握りしめて、改めて強く思う。
 嫌われてはいないと思うんだ。一緒に旅をするようになってから、時々だけど柔らかい笑顔を見せてくれることもあったから。
 俺はナマエさんの笑顔をもっと見たい。
 例え現実がナマエさんにとっての絶望であったとしても、いつかそれを乗り越えられるようにナマエさんの側に。
 その決意を胸にハイラル城へと向かった後、俺たちは『二度目の大厄災』により敗走を余儀なくされることになったんだ。

「どうして」

 ゼルダ姫の目の前で、国王陛下が倒れた。

「どうして」

 一度は防げたはずの神獣の乗っ取りを、今度は防ぐことができなかった。

「どうしてっ」

 未来からの助っ人を召喚した小型ガーディアンが跡形もなく消滅させられ、未来からの助っ人たちの姿が消えてしまった。コーガ達イーガ団も、戦える者が誰もいなくなってしまった。

「どうして……っ!」

 一度目の大厄災の時とは比較にならない数のガーディアン達が城を取り囲むように大地から生えていた古代柱から続々と生み出され、城はもちろん、城下町も火の海に包まれた。

「どうしてっ!」

 それでもゼルダ姫の力は目覚めない。
 一体何が足りないというのだろうか。

 ゼルダ姫の手を引きながら、とにかく城から脱出しようと最短距離で城外を目指す。瘴気の沼に囚われたナマエさんを見つけたのは、その道中のことだった。

「リンク、あそこにナマエが!」
「ゼルダ姫?」

 ゼルダ姫の声に姫が指し示す方向を見た瞬間、心臓が嫌な音を立てて激しく鼓動を打ったのがわかった。瘴気の沼にあんなに全身埋もれて無事だった人はいない。まさか死んで……。最悪の事態が頭をよぎったけど、次の瞬間俺が目にしたのは、身体中にドロリとした瘴気の沼が纏わりついたナマエさんが沼から押し出されるようにして『ぼとり』っと地面に落ちるところだった。
 思わず足を止めたところで、俺よりも先にゼルダ姫がナマエの方に向かって走り出す。その背を追って俺もすぐにナマエさんの方へと向かう。距離にして十数メートル程度だっただろうか。地面に落ちたナマエさんが緩慢な動きで身体を起こすのが見えた。またドキッと心臓が跳ねる。今度は歓喜で。生きてる! パッと見たところ外傷も瘴気による身体の変色も無い。

「ナマエ!」
「ナマエさん!」
「……ゼルダ……リンク……?」

 あっという間にナマエさんのもとまで駆け寄ったゼルダ姫が飛びつくようにしてナマエさんに抱きつく。そんなゼルダ姫に戸惑う様子を見せながらもゼルダ姫の背中に手を回してとんとんっと幼子をあやすように背中を叩くナマエさん。ゼルダ姫の肩が大きく震えている。だから、ナマエさんにも周囲の尋常じゃ無い様子が直ぐに把握できたのだろう。

「状況は最悪、だね」

 尋ねることもなく断定。ふっとナマエさんの瞳に力が宿ったのがわかった。

「リンク、今は何をすべき」
「城から脱出してハテノ砦を目指します」
「わかった。私も一緒に行こう」
「……良いのですか? ナマエ、貴女は……」
「ゼルダを守るって言ったでしょ。私の目的は果たされたけど、また新たな目的ができたの」
「目的が果たされた……? っ! 見つかったのですか?」
「うん。まぁ、ね。だけど今ここで話してる場合じゃない。そうだよね、リンク」
「……」
「ごめん、時間取らせた。直ぐに行こう。シーカーストーンは?」
「……それが、動かなくなってしまって……」
「そう。なら走るしか無いね」

 苦笑して、ゼルダ姫を促して立ち上がるナマエさん。そしてナマエさんが愛用している小太刀をスラリと鞘から抜くと、トンっとゼルダ姫の身体を俺に向かって押し出してきた。

「君たちの背中は私が守るから、振り返らず全力で走って。私は、君たちを絶対に死なせないから」

 そう静かに言ったナマエさんのその言葉にどれだけの想いが込められていたのか。どうしてそんなことを言うのか。新たな目的が何なのか。聞きたいことはたくさんあったけれど、今はその時じゃ無い。

「背中、任せるね」
「了解」

 俺の言葉に小さく頷くナマエさん。
 とにかく今は、ゼルダ姫をお護りしてハテノ砦まで行く。そこまで行けばきっと、きっと、まだ兵士たちが残っているはず。ゼルダ姫が封印の力に目覚めれば、俺が退魔の騎士としての使命を全うできれば、まだチャンスはある。そう信じて……そう信じて何とか城を脱出し、ハイラル平原に溢れつつあるガーディアンを何とかやり過ごしながら、逃げ続けてきた。でも……。

「あぁぁぁぁ……」

 土砂降りの冷たい雨の中ゼルダ姫の慟哭が雨音に消えていく。冷え切った身体を抱きしめながら、ゼルダ姫の心がバラバラになっていくのがわかった。こんな時に何と声を掛ければ良いのか俺にはわからないけど、とにかく、俺はこの腕の中の少女(ひと)を護らなければ。両腕で抱きとめた身体を支えながら、ゼルダ姫の嗚咽が落ち着くのを待つ。
 その間ナマエさんは、ただただ静かに俺とゼルダ姫を護るようにその場に立っていたけれど、しばらくしてゼルダ姫の呼吸が落ち着いたところで姫のところまで来ると「立って」ぐいっと姫の二の腕を引っ張って立ち上がらせた。

「ガーディアンが群れで近づいてきてる」
「え……ですが、どこにも……」
「地鳴り」
「地鳴り……? っ……!」

 言われた言葉にハッとしてナマエさんの言葉に泥で汚れるのも構わず左手で大地に触れれば、確かに雨が地面を打ちつけるのとは異なる僅かな振動が感じられた。これ……こんな僅かな振動をナマエさんは感じ取ったのか……!
 驚いてナマエさんをしゃがんだまま見上げれば、小さく頷かれた。

「急ごう。時期にここはガーディアンたちに蹂躙される。この先には宿場町があったでしょう? 少しでも民の命を救いたいと思うのなら、急いだ方がいい。避難を呼びかけながら進めば、一人でも多くの人を助けられるかもしれない。ゼルダ。まだ貴女には出来ることがある。諦めないで」
「っ……ナマエッ……」
「泣くのは後。リンク、今度はゼルダの手を離さないで。ゼルダ、前を見て。リンクの背中だけを見て走って。いいね」
「……はい」
「いい子だね」

 ふわり、と。
 花が咲くような優しい笑顔。
 ゼルダ姫を安心させるためなんだろうけど、きっと本来のナマエさんの笑顔なんだろう。こんな状況じゃなかったらいいのに、なんて。そんなこと今考えることじゃない。厄災ガノンを倒して平和になった時に、きっと必ず……!

「ゼルダ姫、走れますか? 辛ければ俺の背中におぶさってください。姫をおぶって走ります」
「い、いえ大丈夫です。走れます。貴方の背だけを見て走ります。リンク、私をハテノ砦まで連れて行ってくれますか?」
「御心のままに」

 軽く一礼してゼルダ姫の手を再びとる。走り出した俺たちの後を追ってくるナマエさんの気配を感じながら、ただひたすらにハテノ砦を目指した。